愚慫空論

霊性とディープラーニング(後編)

『前編』はコチラ (^o^)っ リンク

そして、参考にしてもらいたい記事がコチラ
(^o^)っ 『身体的価値と言語的価値 (前編)』
(^o^)っ 『身体的価値と言語的価値 (中編)』
(^o^)っ 『身体的価値と言語的価値 (後編)』


これらの記事から何を言いたいのかは、実はごく単純です。

 すべては感覚だ

ということです。

言語も感覚。
貨幣も感覚です。

感覚だから生き生きしているのが当然なのです。
それが、何らかの原因で生き生きしないものになってしまって、生き生きしていない方をデフォルトだと思い込むようになっている。
そう思い込んでいるのが、これまた愚慫用語でいえば【人間】。

では、なぜ、〔ヒト〕は【人間】になってしまうのか。
この原因を端的な言葉にすると「霊性」です。
そして「霊性」は、ディープラーニングのアナロジーで語ることができる。



前編の図をもう一度提示します。



必要なのは右側のディープラーニングの部分だけなのですが、編集するのが面倒なので、そのまま用います。

ディープラーニングの模式図は、そのままサピエンスの「心理システム」の中の散逸構造、すなわち〔霊〕の模式図でもあります。

サピエンスにおいて、入力は感覚です。
感覚ですから、それは当然、生き生きしています。

その感覚が多層の中間層を経て、ある一定の「特徴値」に収斂されます。
この「特徴値」が〔霊〕です。あるいはシニフィエです。

生理的ディープラーニングによって出力される〔霊〕は、もちろん生き生きとしたものです。
すなわちクオリアがある。
感覚が生き生きしたものであり、ディープラーニングも生体反応なのですから、出力が生き生きしたものになるのは、ごく当然のこと。


霊性とは「生き生き」の深み、あるいは厚みです。

霊性が大きくなるには、感覚入力が多くなる必要があります。
入力が多くなると、「特徴値」を収斂させるのに必要な中間層の厚みも多く必要になるのは道理でしょう。

つまり、ディープラーニングで人間の感覚統合作用がアナロジーできるとするならば、中間層の厚さが霊性の大きさに相当すると考えることができる。


たとえば。
ぼく自身の卑近な話ですが、2つ前の記事で、我が家に棲息している2匹の生命、種はイヌ、名前はそれぞれフクとブーについて記述をしました。

その記事には、ぼく自身の気づきが書いてあります。
気づきがある以前のぼくと、現在のぼくは同じ存在ですが、フクとブーへの認識は深まっています(いるはずです)。
それは、新しい感覚を獲得したから。
新しい感覚の獲得によって、それまでのディープラーニングがリフレーミングされ、以前とは異なった「特徴値」が出力さている。
その「特徴値」を出力するのに要した中間層の数「n」が、以前より大きいかどうか、本当のところは確実なところは言えませんが、情報処理の論理として推測するなら、多いということになろうかと思います。

つまり、ぼくのフクとブーに認識ついての霊性は大きくなった。
にも関わらず、彼らは相変わらずフクとブーです。
その意味は、ぼくがぼくであるのと同じ、という意味でもあるのと同時に、彼らが“フク”“ブー”という以前と同じシニフィアンで指し示されているということでもあります。

以前と同じシニフィアンで指し示されているということは、他者とのコミュニケーションにおいて必要なことでもあります。

家内もフクとブーを、当たり前ですが、“フク”“ブー”と呼びます。
同じフクとブーですが、家内のフクとブーについての感覚入力はぼくとは違うはず。
だから、ぼくとは違った「出力値」、つまり、「フクの〔霊〕」「ブーの〔霊〕」を心理システムに棲まわしている。


ぼくと家内のフクとブーについての霊性がどちらが大きいかというのは、比較することができません。
比較の方法がないからです。
ですが、ぼくと家内以外の人間となら、直接的な比較はできないにせよ、その大きさの比較は簡単に推測ができる。
彼らについての情報量に圧倒的な差があるからです。

でも、これがたとえば獣医ともなると、比較するのが難しくなる。
獣医はぼくたちとは異なる知見を保有しています。
ゆえに、感覚入力の種類が違う。
そうなると、霊性の大きさは、もう比較することができない。

霊性とは、そこに大小があることは容易に想像されるけれど、とはいえ具体的な比較は、現代の知識と技術では不可能なもの。

そのように結論づけておいていいと思います。



とりあえず、『後編』は以上。
が、タイトルを変えて続きます。

タイトルは『【教育】が阻害するもの』。

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