愚慫空論

第48回衆議院議員総選挙

今日は10月13日。金曜日です。

で。
まもなく衆議院議員総選挙があるらしいです。
10月22日の日曜日。
あと1週間余り。
先日、公示があって選挙運動が始まっています。


政治向きのことは意識してあまり取り上げないようにしていますが、今回の選挙に限っては

 オモロイ(←大阪弁w)

ので、敢えて、取り上げてみることにしましょう。

いったいなにがオモロイのか。

瓢箪からから駒というか。
茶番がひっくり返って、マジモードになったというか。


安倍政権の解散は茶番だと思います。

 茶番に付き合わされるのは、たまったものではない。

9月20日過ぎだったか、安倍総理が解散を考えていると報道に接したときには

 冗談だろ?

と思いました。マジで。

ところが、どうやら冗談ではないらしい。
「もり・かけ問題」から逃げるための解散だと憶測が飛び交いましたが、
ぼくも素直にそのように感じました。

でも、まさかとは思っていたんです。
野党は抵抗するだろうし、ジャーナリズムは...、メジャーなところはダメダメでしたねぇ....
が、いやしくも国権の最高機関でたる国会の長であるところの衆議院議長は、すんなりとは総理大臣の意向に従わないだろう、その立場に応じた責任を果たすだろう、と思っていたけれど、すんなりと行ってしまいました。
呆れました。

どれほど制度が整備されようと、制度を運用する者がダメならダメなんですねぇ...


脱力するような事態が進行していたのですが、ある人たちの活躍で、様相がガラリと変りました。

トップバッターは、このかた。



前原誠司さん。
彼が何をどうしたかは、いいでしょう。

で、お次の方。



小池百合子さん。
この方の行動は、写真集をはるかに上回る破壊力でした。
...尻すぼみになりましたけど。

そして3人目。真打ちです。



「えだのん」こと、枝野幸男さん。


ぼくは3人が3人とも、本気だ(った)と思っています。
本気だからこそ、その人の為人(ひととなり)が出た。
だからオモロイ。


安倍さんにはちっとも本気を感じません。

本当はもう、総理大臣なんて激務に耐えられないカラダなんだろうと思います。
「もりかけ」やら何やら、まともに受けて立つことができるだけの力が、この方の身体には、もうない。
そのような人に、ぼくたちの未来を委ねるなんて、この方にもぼくたちにも不幸なことだと思わないではいられない。

それからすると、お三方は本気。
それぞれに自分の未来(←間違いではありません!)を考え、勝負に出た。


どうしようもなく落ち目だった民進党は、前原代表の本気の独断専行でバラバラになってしまいました。

機を見て勝負に出ると、おそらくは腹を固めていたであろう小池都知事は、そこへタイミングを逃さす食いついた。

その無残な有様を見て、枝野さんが旗を揚げた。

小池さんがいなければ前原さんは勝負にはでなかったのかもしれない。
ふたりにはあうんの呼吸があった(あるはず)だったのかもしれない。

が、勝負師としては小池さんが上手だった。
でも、事態を呑み込みきれるだけの器はなかった。
「踏絵」など踏ませずに、一度呑みこんでから吐き出せばよかったのに。

前原、小池ご両人の決断がなければ、そして、もう少し小池さんの器が大きければ、枝野さんの決断はなかったろうと思います。

この展開。
ドラマだと思います。
それぞれに本気だからこそ、思いも寄らぬ方へと事態が転がっていく。
とてもオモロイ。
巻き込まれてみたいと思ってしまいます。

まあ、といっても、一票を投じるだけのことですが。


ぼくがどこに投じるかは決めてありますが、明かしません。
どこかを推すこともしません。

ですけれど、これは面白かったと言っておきましょう。(^o^)っ コチラ!

枝野さんといえば、どうしても思いだしてしまうのが、

 「ただちに影響はありません」

のフレーズです。
このフレーズを発していた時の挙動は、どうみても、その言葉を信頼できるものではありませんでした。
印象がずっと尾を引いています。

ですけれど、上掲の様子を見て、その印象はもうなくなりました。

枝野さんは当時は官房長官でしたけれど、あの事態、その時の立場、そして当人の器。
あのフレーズとあの挙動は、あの時の枝野さんの限界だったんだと。

今は、もう一段、大きくなったように見える。

人間は成長するものです。



ちょっくら余談。
いろいろと意見が飛び交っている「リベラル」について、私見を。

ここは「保守」「リベラル」「左派」の3つをセットで考えた方が理解しやすいと思います。

まず保守です。

保守は国や地域によって様相が異なります。
なにせ、その国や地域の伝統に沿うことが「保守」なんですから。

日本の保守は、“懐古”あるいは左派(左翼)的には“反動”とでも言う方が的確だと思います。
要するに、戦前回帰願望が日本の「保守」です。
帝国主義的資本主義への回帰。

リベラルは、戦後民主主義的な資本主義を目指すもの。

もともとのリベラルはアメリカ産です。
アメリカの保守は、戦後民主主義でも自由主義の色合いが濃いもの。
それはヨーロッパの保」へのアンチとしての保守。

16世紀の新大陸征服から始まったヨーロッパ中心の世界システムが、ヨーロッパの保守の出発点です。
そこからはみ出してアメリカに渡った人たちが子孫が、今度はアメリカ中心の世界システムを運営するようになる。
それがアメリカの保守。

で、日本はといえば、パックスブリタニカの後にパックスジャポニカを作り上げようとした。
パックスジャポニカは「八紘一宇」の別名です。
アメリカに負けて実現しませんでしたが。
その見果てぬ夢が日本の保守の出発点。

保守は、〔しわよせ〕を生みます。
外部にも、内部にも。
外部には帝国主義として現れ、内部では格差として現れる。
で、内部の〔しわよせ〕が革新になる。

イギリスは、【シワ】を外部に出し切ることに成功した。
本来、中で起きるべきことが外で起きたのがアメリカ独立。
アメリカ独立があったがゆえに、パックスブリタニカが可能になった。

フランスは【シワ】を出し切れなかったので革命が起きた。

パックスアメリカーナの時代になると、ヨーロッパの保守は、もともとは【シワ】だったものに軸足が移る。
社会主義は、そうした【シワ】からの派生物だと考えてよいと思います。

アメリカ内部の【シワ】の現れがリベラルです。

日本はパックスジャポニカが実現できなかったので、【シワ】はすべて内部に織り込まれることになりました。
その現れが平和憲法。日本的社会主義。そして環境破壊です。
で、この現象を最も体現したのが田中角栄。

平和憲法と日本的社会主義では【シワ】はわりと上手く折りたたまれた。
折りたたまれない【シワ】は、環境破壊へと向けられた。
原発もその流れで日本に根を下ろした。
これはアメリカにおいては「ミリタリーコンプレックス」に相当します。

というわけなので、日本にはアメリカ的リベラルはもともと必要ではなかった。

では、なぜ、今、リベラルなのか?
自民党が社会主義政党ではなくなったからです。
自民党が帝国主義的資本主義を志向する政党になってしまった。
と同時に日本的社会主義も立ちゆかなくなった。
日本もグローバル化という名のアメリカイズムに呑みこまれて、アメリカナイズされてきてしまった。
だから、今、もともとはアメリカ的なリベラルが入り込む空間ができた。

上掲の動画で枝野さんが言明しています。
親米だと。

今の日本の保守は、表向きは親米のようで、実は違う。
従米です。
従米だからこそ、パックスジャポニカの見果てぬ夢を見る。


おっと、左派を取り残してしまいました。

左派の社会主義・共産主義は日本的社会主義とは異質なものです。
アタマデッカチ。
これも見果てぬ夢という意味において、保守と同類だし、生まれからしても兄弟と言っていい。
戦前の内部への【シワヨセ】が左派の出自です。


そう考えていくと、本筋はどこかということが見えてくると思います。
ただ、アメリカやヨーロッパがそうであるように、日本も感情の劣化が進んで、出発点の保守へと回帰する勢いが大きくなってしまっている。ナショナリズムというのは【シワヨセ】への反撥です。

反撥が強くなって、【シワ】を外へ追いやろうとする動きが大きくなる。
それは見果てぬパックスジャポニカへの追慕を大きくしてしまう。
その流れを止めるのは難しいと思います。

せめて、不幸なお方が激務から解放されれば...


...チョックラのつもりが、そうでなくなってしまいました(^_^;)

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