愚慫空論

『ブライアンと仲間たち パーラメント・スクエアSW1』



ブライアン・ホウというイギリスの反戦運動家とその周辺を取り上げたドキュメンタリー映画。
自分でチョイスすることはない映画です。


ブライアンは湾岸戦争に反対を表明して、2001年から10年以上もイギリスの国会議事堂の前の広場(パーラメント・スクエア)に住み着いてしまった人。
イギリスの反戦運動の象徴となっていた人。
2011年にお亡くなりになっているようです。


正直なところを言ってしまいましょう。

長かった。

上映時間は90分ほど。
半ばくらいで飽きてきました。


この映画を観たのは、とある場所でひっそりとやっている毎月の映画会で、です。
メンバーの誰かがチョイスしたものを、みんなで観る。


先月はスコセッシの『沈黙 -サイレンス-』を観ました。
先月のことに言及するのは、ちょっと面白いことがあったからです。

一ヶ月ぶりに集まると、自然と前回観た映画のことが挨拶代わりに出てきます。

集まる時間が遅い、すると終わる時間も遅い、
そういうこともあって、映画を観た後に意見交換をするというようなことはありません。
各々、挨拶代わりにチョット感想を吐き出すくらいの感じ。
一ヶ月ぶりに集まると、その続きみないな感じになることが多い。

ところが、今回、誰もが前回観た映画をすぐに思い出せなかった。

やっぱり重かったんです。
『沈黙 -サイレンス-』は。
惹き込まれて観ていたけれど、身体への負担は大きかった。
残虐な拷問のシーンが続きましたし。

そうなると、自然に忘れようとする。
先月、面白かったという印象だけは残っているけれど、

 あれ? 何を観たっけ?

ということになっている。
みんながそうなっている。
面白い。


観ていて飽きるというのも、そうした素直な身体反応でしょう。


映画のなかでブライアンは、こんなようなことをいいます。

 世界に共通する“L”と“H”。
 英語で4文字。
 すなわち“LOVE”と“HATE”。

 “LOVE”を伝えよう。

ところが、映画が伝えてくるのは「HATE」なんです。

ブライアンも撮影した監督も、伝えたいのは「LOVE」だと思っている。
伝えているのも「LOVE」だと思い込んでいる。
でも、実際は「HATE」の方です。
〈からだ〉は正直で、「HATE」には反応を示さなくなる。


彼らの主張は正しい。
伝えようとしていることは正しい。
戦争はよくありません。

でも、これは【アタマ】です。

【アタマ】が考える「LOVE」。
〈からだ〉が反応する「LOVE」。
残念なことに、この2つは一致しないことが多い。
常に一致していたら、もうすでに今頃、戦争なんてなくなっているはずです。



惹き込まれなくなった『ブライアンと仲間たち パーラメント・スクエアSW1』を観ながら思い返していたのは、『この世界の片隅に』でした。



最近、DVDが発売されて、さっそく購入して観返したということもあって。

『この世界の片隅に』は体裁上は反戦映画でありません。
でも、中身は反戦映画になっています。

この映画から伝わってくるのは「LOVE」。
「LOVE」を断ち切るものとして戦争が描かれている。
ですから、この映画を観ると〈からだ〉が戦争を拒絶したくなる。

対して『ブライアンと仲間たち パーラメント・スクエアSW1』では、残念なことですけれど、反戦運動を拒絶したくなってしまいます。


ブライアントとその仲間たちがやっているのは、「正しい」ことだけれど、代償行為でしかないと感じます。

 「遷怒」

です。

 「直」

ではない。
彼らの〈からだ〉が怒っているのは、戦争ではないような気がします。
それが何かはわかりませんが、別の何かから生まれた「怒」を、それが「正しい」からといって、戦争へと遷し換えてしまっているような気がしてならない。

自分自身を瞞している。

自分自身を瞞すことによってうまれるのが「HATE」です。
「HATE」を「正しさ」によって装うことで「LOVE」を偽装している。

結局、こういった偽装は長続きするものではありません。
が、ブライアンは長続きしないものを長続きさせた。
だから偉い。
すごい。
信念の人。

皮肉なことです。

コメント

月1映画会って、なんかアングラ秘密結社みたいで面白そう。ちょい興味ありますねぇ^^
このあたりにもあるかもしれないなぁ、探してみようかなぁ〜

それにしても「これな」・・・という感じ。

最近俗世的ないろいろなことを辞めているのですが、近所の居酒屋通いはまだ続いています。客はほぼ、安倍ちゃん好きとかゴルフ好きとか会社アイデンティティとかゴシップ好きとかごく普通の退屈な一般社会の縮図みたいな感じなのですが、一人ブライアンみたいなジジイがいて、もうワタシぐらいしか傾聴してあげる相手がいなくて聴いてやってたのですが、言ってることはサヨっち候で別に聞けない話しでもないのですが、数年聞き続けていたこの前ついに耐えられなくなってブチ切れました。
この耐えられなくなったのは「〈からだ〉が耐えられなくなった」のでしょうね。で、おそらく傾聴は「アタマ」でしていたのでしょう。
(はたして傾聴が〈からだ〉でできるものかどうかは別の課題で興味もありますが、)

そこで感じたのは、安倍ちゃん好きなジジイの主張もサヨっちジジイの主張もなにも変わらない、ということ。主張するものにとってはともに「正しい」と思い込んでいる。自分を瞞している、などとは露ほども思っていない。知らぬうち「何かに」自分が瞞されているなどとは、それ以上に思わない。

安倍ちゃん好きもサヨっちジジイにも、聴いて頷いて満足させている、というワタシも自分を瞞しながらで、ちょっと面倒になってきていてブチ切れただけかもしれませんが、、、笑

寄せ場運動では自分を偽装しつづけている人がけっこういますよww

ブチ切れたのか、プチ切れたのかはさておきw
「切れる」のはいいことだと思います。剣呑でww
しかも、不愉快な相手に「直」に返しているわけですから。

「傾聴」はとても大切だと思います。
でも、自分を殺した利他になっては意味がありません。
オノレのためでないと。

〈からだ〉というの「オノレのため」に作動するものなんだと思います。
では、その「オノレ」とは何か。
「オノレ」だけが「オノレ」ではない。
〈からだ〉が共感する相手もまた「おのれ」でしょう。

親子の関係なんていうものは、〈からだ〉同士が共感する関係。
夫婦もそうなんでしょうね、きっと...(遠い目)


【アタマ】の作用で生まれる【正義】をキャンセルするにはどうしたらいいのか。

一緒に鑑賞していた人が伝え方の問題だろうと言っていましたが、それでは足らない気がしています。

>【アタマ】の作用で生まれる【正義】をキャンセルするにはどうしたらいいのか。

ちょっと表現が分かりにくいのですが、、、^^;
もしかして、サヨっちジジイを転ばせる、もとい、多元的視点に気づかせる、とか、ブライアンを偽装の鎖から解放させる、、、ということでしょうか?

であれば「伝え方」の工夫とか深度とかでは無理な気もします。ちゅうか他者からのアプローチでなんとかなるのだろうか? 自発的な気づき以外に、、、自発的な気づきに至る他者のなかの「オノレ」の存在があるかもしれないな。

他者のなかの「オノレ」は、自己のなかの「おのれ」になんとかなるのか? 他者のなかの「オノレ」の有り様は他者と「おのれ」の共同作業になるのでしょうが、そうした他者のなかの「オノレ」にまかせるとすると、その「オノレ」の有り様が自己のなかの「おのれ」と違って来る可能性もある。「オノレ」と「おのれ」がシンクロするのは他者との共同作業である前提の信頼関係からの話しになるのでしょう。
ところが【アタマ】のなかの【正義】は偏向を好むというか、絶対になっていしまう傾向があるような気もするので、否定される者とは信頼関係は生まれにくいかな。

noteのほうにピックアップしたように、【アタマ】の【正義】も「種の本能」であるとしたほうが楽だったりして、爆!!


その話は、ぼくにおいては〔システム〕論になってしまうんですけどね。

サヨッちを転ばせるには、サヨごと転ばせればいい。
ウヨも一緒。

むかし、太平洋戦争が終結したときのこと。

「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び...」

なんちゅう“玉音”と、玉音の主がマッカーサーと並んで写真を撮った、その程度のことで「鬼畜米英、ヤンキーゴーホーム」が「一億総懺悔」になったわけです。

なぜこんなことがあり得たかというと、主は“象徴”だったからです。


では、近代社会における“象徴”とは何か。
貨幣です。
だから貨幣が転べば、み~んな転ぶ。

ぼくの〔システム〕論というのは、要はそういう話です。


反戦運動は、賛成であれ反対であれ、国家という「枠組み」の中で起きている。
反戦運動が「HATE」になってしまうのは、国家への「HATE」があるから。
国家がなければ「HATE」の向き先も変わる。
国家があっても、それを相対化できれば「HATE」の向き先も変わる。

では、貨幣が転んだ後、国家は転ばずにはいられるか?
ぼくは転ぶと思っています。
貨幣こそは最強の征服者だから。
そして現在、技術の進展によって生まれつつある新しい貨幣は、国家を必要としない貨幣です。
それに,すでに富裕層と呼ばれるような人たちはとっくに国家なんて相対化しています。それが一般化するだけ。

だから、極論を言ってしまえば待っていればいい。
国家は抵抗するだろうけれど、技術進展は止められません。


でも、待っていればいいなんて、つまらないでしょ?
どうすれば楽しいか。

〔システム〕が転ぶことで転ぶよりも先に転ぼうじゃありませんか?
どうせみんな転ぶけれど、先に転んでいれば楽しめますよ!


じゃあ、先んじて転ぶにはどうしたらいいのか?

>【アタマ】の作用で生まれる【正義】をキャンセルするにはどうしたらいいのか。

青筋立てて深刻ぶっていますけど、本音はそういうノリですw、もはや。

ただ、まあ、なんというか、深刻ぶるノリは『空論』のスタイルなので、そこも含めてどこかで切り替えようとは思っています。

なんだか的外れのレスになったようで、スミマセンww

>的外れ、、、でもないですよ
なるほどねぇ〜、という感じです。

なるほどねぇ、と解るような気はしているのですが、正直にいって実感はありません。
ノストラダムス大予言が外れたように、どこかで現行【システム】が続くような気がしている。
まあ、現行【システム】が突然コケてもオタオタしない程度の心の準備はできてますが。

実際ワタシには高度2000mぐらいまで飛び上がって全体を対局的に俯瞰する能力がないようです。
せいぜい高度10mぐらいの俯瞰で自分と周囲にいる人間ぐらいしか見えません。爆!!

>実際ワタシには高度2000mぐらいまで飛び上がって

あくまで例え話です。

森林限界というものがありまして。
日本だと標高2300~2400mくらいになります。

森林限界以下は通常、背の高い木々が生い茂る森林帯なので、あまり見晴らしは効かない。
ところが森林限界を超えると高い木立はなくなるので、一気に視界が開けます。
森林限界を挟んで50m上下しただけで、見える風景はまるで違ったものになります。

50mの高度差を稼ぐのに必要な所要時間は、地形によりますが、10分程度が標準です。

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