愚慫空論

『子は親を救うために「心の病」になる』(完結編)

 前編はこちら (^o^)っ リンク
 中編はこちら (^o^)っ リンク
 後編はこちら (^o^)っ リンク


『完結編』とはしたものの、この文章を前・中・後編の続きとしてよいのかは、我ながらいささか疑問です (^_^;)

前・中・後編も、内容は「自分語り」です。
著作の紹介という体裁をとって、自説を語っているだけ、です。

ブログを続けているうちに、そういうスタイルに落着いてしまった。
ちょっと歪だなと思ってはいるのですが、とはいえ、変なことをしているわけでもないし...。

『空論』というタイトルにはお似合いくらいに開き直ってすらいますがww


今回は、体裁もへったくれもなく「自分語り」です。
『子は親を救うために「心の病」になる』を読んで、ぼくが思い連ねてきたことと付き合わせているうちに、浮かび上がってきたもの。

そうした経緯からすれば、前・中・後編の続きと言えなくはない。
この文章でもって、『子は親を救うために「心の病」になる』の読書から浮かび上がってきた一連の思索に区切りを付けようと思っているから、“完結”もウソではない。

が、ウソでなければ、本当かというのは微妙なところです。


あ、先に言っておきます。
長くなります。(^_^;)

生きている実感は親から教わるもの

自分を知るために、そこから離れるべき「社会的な存在感」とは何か。
それを探るために、一部、繰り返しになるが、心理システムについてまとめておく。

人には、生命システムと心理システムが備わっている。
生命システムは、生命を維持するために働く、生物学的なシステムである。子どもはこれを備えて「この世界」に生まれてくる。そのシステムの基幹は、食べる、寝る、活動する、である。美味しく食べて満足して、ぐっすり眠ると、自然に活動したくなる。このサイクルは生まれてから死ぬまで、一日も休むことなく動き続け、それは地球の自転周期と同期している。

心理システムは、生命システムの上に後天的に作られる。その目的は生命システムを維持しながら、この世界でよりよく生きていくことである。人とのつながりを維持し、善悪の判断を行い、行動の指針を与える。それは親から継承され、社会の共通の倫理観となっている。思春期が過ぎて一人前の大人になったときに、心理システムは一応の完成をみる。

心理システムは、自分がこの社会に生きているという「社会的な存在感」=生きている実感を、日々、生成する。それは、自分が回りの人々と同じものを求めて生きている、つまり、「愛情」、「お金」、「賞賛」を求めて生きているという疑いようのない感覚である。その結果、自分が他人とつながっていると感じる。その感覚を確実なものにしてくれるのは、共通の倫理観(善悪)だ。




体裁もへったくれもないといいながら、チョロッとだけ体裁をとってみましたw
例のごとく、長い引用です。


長くなると断ったので、端折らずにいきましょう。

この文章から湧き上がってくるところ。

まずは“実感”という言葉です。

いつからかぼくは、“実感”という言葉に疑問符を付けています。

疑問符と言い方は正確ではありません。
“実感”というシニフィアンが指し示すシニフィエが曖昧で、不正確だと思うようになっている。
“実感”のシニフィエはもう一段区分できると感じています。

“実感”とは区分される感覚。
そのシニフィエを指し示すシニフィアンとして“身体感覚”という言葉を採用することにしました。

 ⇒ 《身体感覚》〈体感〉

あいや、ここでは“実感”ではなく“体感”とシニフィアンを採用していますね(^_^;)

過去文はそのうち書き換えるかもしれません。
シニフィアンとしては“実感”が適当だろうと思います。

すなわち「実感」とは心理システムが感知する感覚。
すなわち「身体感覚」とは生命システムが感知する感覚。

『中編』で“麻痺感覚”という言葉を提出して

 感覚するということへの感覚

なんてことを言っていますが、
 前者の“感覚”は心理システムによる〔実感〕
 後者の“感覚”は生命システムによる〔身体感覚〕


もうひとつ。

「心理システムは、生命システムの上に後天的に作られる」

これはぼくなりの表現の仕方でいうと、「瑕疵」です。

 ⇒ 『サピエンス全史』その18~サピエンスにおける瑕疵

心理システムの目的は「生命システムを維持しながら、この世界でよりよく生きていくこ」とだと著者は述べています。
それはその通りなんですが、だとすると「後天的に作られる」ことは不合理です。

ほとんどの生物種において、心理システムは先天的なもの。
なぜなら、その方が生存のためには合理的なはずだから。
ところがサピエンスは、進化の「せめぎあい」によって、後天的なものとなってしまった。

そして、そのことによってさまざまなところに「しわよせ」が行ってしまっている。
生命システムと心理システムの齟齬が「しわよせ」を生んでいる。

 「しわよせ」にはマクロな方向とミクロな方向とがあります。
 歴史はマクロな方向の「しわよせ」の推移。
 ミクロな方向でいくと、本書のタイトルのような形になる。


『前編』で記したことを繰り返しておきましょう。


  ***


さて。
「自分語り」はこれからです。

以下の体験は、以前どこかで書いた記憶がかすかにあります。
おそらくFC2に引っ越しする前。
『はてな』で書いていたころです。


今から30年前。
ぼくはちょうど二十歳でした。
大学の二回生。

夏休みに南アルプスの山小屋でアルバイトをしました。
赤石小屋というところです。

大井川を遡った上流域に、椹島(さわらじま)という場所があります。
そこから赤石東尾根が赤石岳へ向かって突き上げている。
別名、大倉尾根ともいう。

山小屋の仕事は登山客を迎え入れることです。
現在では南アルプスの南部地域の山小屋も登山客に食事を提供するのが当たり前になっていますが、当時はそうではありませんでした。北アルプスでは、当時既にあたりまえになっていましたけれど。

南アルプス南部山域は、自身ですべてを背負って登山ができる人の領域――。
まあ、なんというか、そういう「伝統」がまだ生き残っていた時代。
けれど、そういう時代もぼちぼち終わりつつあって、客に食事を提供しようという機運が生まれてきた頃でした。

ということで、当時の赤石小屋でも食事を提供することを始めていた。
といっても、モグリですw
正式には役所に届け出を出して営業許可をもらわなければならないはずですが、
また、許可をもらうにはそれなりの設備も必要なのですが、
山奥のことでそんな設備など、当然ありません。
山小屋とは言っても、それは山仕事の人たちが寝泊まりする飯場(はんば)の建物を流用したものでしたから、客に正式に食事を提供する設備など、備えようがなかった。

まあ、モグリでもなんでも、食事を提供するとなると、食材が必要です。
また、食事を提供するとなると、飲み物も欲しい。
ことにビール。
法外な値段でのご提供ですが、文句を言う人はひとりもいませんでしたw


赤石小屋のアルバイトの主な仕事は、登山客の世話と食材等の運搬。
客の数は大したことは無かったので世話の労力はしれたものでしたが、運搬の方は重労働でした。

こちら(^o^)っ リンク)からは国土地理院の地図へとリンクします。ちょっと眺めて、若かりし頃を思いだし悦に入っていたのですが...

出てくる地形図を左上へとずらしていくと、右下に「椹島」の表記が出てきます。
「赤石岳」の右には「赤石小屋」の表記。

赤石岳の山頂は標高3120m。
赤石小屋は2500m程度。
椹島は1100mです。

荷の運搬は人力です。
ぼくと、もうひとり。
ふたりで交替で荷を背負って椹島から赤石小屋まで運び上げていました。
標高差1400mです。

人力での荷揚げ作業は「歩荷(ぼっか)」と言いました。

椹島から赤石小屋までの地形図を眺めていると、当時の風景と感情が蘇ってきます。

歩荷の日は、軽く食事を済ませて午前5時には赤石小屋から椹島に向けて出発します。
だいたい1時間半で椹島に到着。
赤石小屋→椹島間の標準所要時間は3時間から3時間半とされていましたから、駆け下りるわけです。

椹島には中部電力の宿舎だった建物を“ロッジ”と称して登山客を泊めていました。
椹島は南アルプスの山域のベースキャンプみたいな場所で、物資の中継点でもあった。

椹島に到着すると、風呂をもらいます。
そして、二回目の食事。
その間に、お弁当を拵えてもらう。

歩荷の日は、2回の朝食、弁当、夕食の4回の食事でお米を一升近く食べていただろうと思います。

一段落ついたら、荷造りをして赤石小屋へ向けて出発です。
荷の重さは50㎏といったところ。
遅くとも10時には出発します。

50㎏の荷を背負って標高差1400mを登るのは、なかなかの苦行でした。
時間にも制約があります。
小屋へ帰ったら帰ったで仕事があります。
遅くとも午後4時には到着したい。
6時間くらいです。

ちなみに、椹島→赤石小屋の標準所要時間は5時間とされていました。
背負い荷の重量は30㎏なら相当なもので、標準的な体力の者ならば、余分に時間を見込んでおかなければなりません。標準的な重量は20㎏といったところだったでしょうか。

背負い荷が重くなると、足腰への負担もきついですが、重量がのしかかる肩への負担も大きい。腕への血流が止まって腕がしびれてきたりします。それもあって、長い時間歩き続けるのはきつい。こまめに、5分から10分くらいの間隔で1分2分の小休止を挟みつつ歩いて行きます。

休憩の場所は、何度も往復をしていると自然に決まってくるものです。
休憩場所が決まってくれば、歩荷の作業もルーチン化してきます。
ルーチン化すると、気分的にはずいぶんと楽になる。

途中には休憩をとるのが難しい難所がありました。
ぼくたちは「歩荷返し」と呼んでいましたけれど。
標高でいうと、2350mから2420mくらいまで。
椹島から5時間ほどかけて登ってきた、歩荷の終盤にその場所はありました。

急登でした。
上手く休める場所がなかった。

重荷を背負っての休憩は場所を選びます。
下手に荷を下ろしてしまうと、再び背負い上げるのが大変だから。
荷の座りがいい場所でないと、休む以上に消耗してしまうことになる。
「歩荷返し」の急登には、休憩適地がなかったんです。
なので、ここは一気に一息で登り切っていた。
所要時間は20分程度だったと思います。


この「歩荷返し」を登り切ったところで、ある時、面白い体験をしました。
長々と書いてきましたが、書きたいのはこの体験です。

息を詰めるようにして急登を登り切って、荷物を下ろしたときです。
大きく信服していた呼吸が整ってきたときに、急に周囲の光や音がうわっと入ってきた。
オーディオ装置のボリュームのつまみを、0からマックスへと回したみたいな感じで。

その日はよく集注できていました。
体調が良く、それまでは“歯を食いしばって”“よじ登る”といった感じだった「歩荷返し」の急登が、それほどきついとは感じなかった。荷を背負っていても、スイッ、スイッという感じで、楽とは言わないけれど、それまでよりは軽く上がっていくことができた。

登ることへの集注は、相対的に視覚聴覚への感覚感度を下げていたのでしょう。
その集注が終わった途端に感覚感度が上がって、一気にボリュームが増した。
これはこのときが初めての感覚でした。


このときの感覚は、『子は親をすくために~』でいうところの「ある」の感覚だったろうと思います。
生命システムの感覚です。
心理システムを通じて感じるところの「社会的存在感」「いる」とは、まったく別個の感覚です。


この感覚を得たことは、ぼくにとって大きな糧になったと思います。
20代前半は、この感覚を追いかけていたと言ってもいいかもしれません。
当時にそんな言語化した意識は持ち合わせてはいませんでしたけれども。

単独行で、そうとう無茶な山登りをしていた。
半分以上本気で、死んでもいいと思っていましたww

とはいうものの、せっかく得た生命システム感覚を活かすに至るにはまだまだ時間を要しました。
ほぼ30年。
この時間がぼくには必要でした。


それはなぜか。
なぜ、そんなにも時間が必要だったのか。
そもそも、それほどの時間を必要とするものなのか。


登山は「修行」だったのだろうと思います。
でも、中途半端に終わってしまった。

途中で戻りたいと思った。
いつどこでそう思ったかもよく覚えています。
年齢は25だったか。
3月の奥聖岳の山頂でそう思った。
ひとりで雪を掻き分けてたどり着いた山頂で、眼下に聖沢を眺めながら、

 ぼくが行きたいのは上ではない。下だ。

と思った。
その時の風景と感情は、今もよく憶えています。

あのまま「上」を目指していれば、もっと早くに「ある」だけで生きていくことができるようになったのか?
それはわかりません。
それよりも死んでしまっていた可能性が高いような気がする。
ぼくの身体が、そのことを教えてくれたのだろうと解釈しています。


  ****

「下」の世界は、『子は親を救うために~』の高橋さんがいうところの「この世界」です。
愛情、お金、賞賛を通じて、心理システムを経由して、存在感を確認する。
「ある」ではなく「いる」を確認することで生きていく。
ぼくの言葉でいうならば〔人間〕の世界です。


「この世界」は、ぼくには生きづらいところでした。
ぼくの心理システムは歪んでいたからです。

その歪みは親からの影響と見て間違いないでしょう。
乳幼児期は「普通」だったろうと思います。
記憶にないので、定かではないんですけれどね。


学童期はおかしかったのは間違いないと断言できます。
前半は本書の第四章にあるネグレクトの状態。
後半は第三章にある虐待の状態です。

前半と後半では、心理システムの手本となる母親が変わっています。
父親が離婚して新しい母親がきた。
これはずっと不思議に思っていたのですけれど、ぼくと弟は、どちらも新しい継母にすぐに馴染んだんです。
この継母は自分の子が生まれると虐待を始めるんですが、それでも母親だと思っていた。
ぼくも弟もです。

これは前半のネグレクトが影響しているんだと思う。
その頃には実母は統合失調症になってしまっていて、病因への入退院を繰り返していた。
家にいても、心理的なケアはしてくれていなかったのだろうと思います。

これはもしかしたら、乳幼児期からそうだったのかもしれません。
後年、実母の親戚と会う機会があって、昔話をいろいろ聞かせてもらったことがあったのですが、その話の範囲内では、「普通」であったろうと判断しています。


学童期の後にくる思春期は二重生活のようなものだったと思います。
家庭では虐待に加えてネグレクト。
その反対というか、埋め合わせにというか、学校では相当に健全でした。
すでに変わり者という評価は得ていましたがw、それでも人間関係は「普通」に取り結ぶことができていました。
ただ違和感はずっと抱えていましたが。

思春期の終わりは恋愛です。
高校3年のときでしたが、好きな女子ができた。
それまでも好きになった娘は幾人かいたし、それなりに良好な関係性を結んだこともあったりしましたが、高3の時のそれは質的に違っていました。

「二重生活」が破綻し、思春期に終わりがやって来たからです。
思春期の終わりをもたらす恋愛でした。
成就はしませんでしたが...


成人期というのは、ぼくにはないと思います。
思春期が終わった後は、混迷期とでもいうか。
思春期の残骸とでもいうか。
そういう時期が30年ほど。

現在は、著者の高橋さんがいうところの宇宙期というものに入っていると思います。
かつてないほど、気持ちが安定しています。
毎日が上機嫌。
この気分の良さは、生命システムの感覚から来ています。

愛情は、今でも欲しいと思います。
でも、切実感はありません。
吸収よりも放出の欲求の方が高い。

〔ヒト〕には「裡なる欲求」というものがあって、
〔ヒト〕にだけではなくて、あらゆる生命にはそれがあって、
その発露が愛情という形式になる。
ただそれだけのことです。

不機嫌になるのは、生命システム⇒愛情の回路が遮断されたときです。
この遮断の作用をもたらすものが【怨】というやつです。
【怨】を受けときは、「直」でもって相手に返す。
そうすると「遷怒」をしなくて済むので、すぐに上機嫌に復帰することができます。


お金や賞賛はどうでもいい。
本当にどうでもいい。
お金はないと困りますが、なければないほどいい。

これらは〔社会〕を構成する要素です。
ぼくがいうところの言語現象世界秩序の構成要因。


ことにお金です。
高橋さんが挙げる社会的存在の三要素のうち、お金だけは実体がある。
貨幣の本質が情報であることは今や明らかになってはいますが、実体が存在すると感じるのが「普通」でしょう。

ぼくの考えでは、「お金」の位置には「経済」が入るのが正解だろうと思います。
けれど、臨床的に〔人間〕を観ているカウンセラーには「お金」になる。

愛情、お金、賞賛、これらは3つとも「感覚」です。
愛情は身体的。
お金と賞賛は言語的。

  ⇒ 言語的価値と身体的価値(前編)
  ⇒ 言語的価値と身体的価値(中編)
  ⇒ 言語的価値と身体的価値(後編)
  ⇒ 言語的価値と身体的価値(未完結編)
  ⇒ 言語的価値と身体的価値(完結編)

宇宙期においては言語現象世界秩序は作用しません。
それらは相対化されて、無効化されている。


このような状態のきっかけになったのは、「復讐」です。
継母への復讐を始めたことが歪んだ心理システムを切り離すきっかけになった。


子が親から影響を受けて心理システムを作るというのは、サピエンスに起きる現象としては普遍的なものだろうと思います。
同じ親の下で育ったぼくと弟が、同じ影響を被っている。
もちろん、それぞれの個性による差異はありますが。

もっとも、それは限られた範囲の観察でしかありませんから、ぼくの主観の域をでません。
『子は親を救うために~』においても、「子は母親から心理システムを学ぶ」という命題は提示するものの、その命題の客観的証明にはベージは割かれていない。

ただ、研究がないとも思えない。
そのうち出会うことになるでしょう。


ちなみに、弟の方は、いまだ「復讐」を為そうという心境にはなっていないようです。

どうやら彼は生命システムの感覚を識らない。
そういう機会を持つことができなかったようです。


では、生命システムの感覚を識ることが宇宙期への要件かというと、それがそうでもないようです。
生命システムの感覚を識っていても、心理システムの要件が満たされていると宇宙期には移行せずに成人期に留まる。
心理システムの要件が満たされていると、生命システムの「ある」という感覚を識っていても、それは愛情、お金、賞賛へと還元されていく。

これは複数の事例が確認される現象です。
『子は親を救うために~』にも記述があります。

三つのキーワード「アウトサイダー」「中年クライシス」「価値の相対化」

(略)

アウトサイダーになる時や、中年クライシスで行われることは、心理システムの中では当たり前であり、かつ絶対的であった善悪の価値観の相対化である。

(略)

その心理段階では、人は社会の中で生きながらも、社会から離れることができるし、社会を楽しみながらも、社会に頼らず、ドライに生きることもできる。

成人期を越えて、心理システムを越えて、宇宙期に入るかどうかは、「普通の」人にとってはオプションの問題である。そこに進んでもいいし、進まなくてもいい。進まざるを得ないこともあるし、進まなくても済む場合もある。「普通の」心理システムの中で幸せな人生を閉じてもいいし、あるいは、どうしても虚空を知りたくて、進んでいくこともある。

一方、最初から不完全な心理システムを持ち、生きることがつらかった人たちは、宇宙期へ進む可能性は高いだろう。彼らの心理システムは不完全なゆえに、その時は、大きな「クライシス」を必要としない。ずっと深く、長く苦しんできたからこそ、人間存在の核、その最後のしあわせへと向かう力は強い。




正直、ぼくはこの記述に不満です。
憤慨していると言ってもいい。

この記述は事実だろうと思います。
とくに、

 「普通の」人にとってはオプションの問題である。


こうなってしまうことこそが、【システム】の最大の問題点だろうと思う。


著者の高橋さんは、人間の心理システム発達を定説の4段階に加えて、上位の宇宙期を想定しています。
その仮説への賛否はさておき、そのように提唱する高橋さん自身が、

「普通」では「オプション」

だという。

このことは、高橋さんが観察した事実のなかではそうなのだろうと思いますし、ぼくの観察結果とも一致します。
でも、その「普通」は、ぼくには不自然なことにしか思えません。

最上位は「オプション」などではない。
最上位はなるべくしてなるもの。
条件が整い、阻害要因が整理されれば、自ずとそこへ至るもの。

これはぼくの主観的確信に過ぎませんが、主観的であっても確信である以上、確かめずにはいられない。
これもまた生命システムから放出される「裡なる欲求」だと思っていますし、
「裡なる欲求」が普遍であるならば、それが「オプション」などということがありえるとは思えない。


以上、長くなりました。

『サピエンス全史』シリーズへと続きます。


コメント

読んだよ。
とりあえず、本の紹介の感謝のコメントです。さんきゅ。
正直いえば3章までは退屈だったんだけど、4章からの5章の流れはよかったねぇ〜
久しぶりにエントリーしたくなる本です。
で、ワタシも立ち止まった「オプション」という言葉。
最後にとりあげてくれましたねぇ〜。
ワタシは「オプション」と書かれていたことに、逆に「ほっとした」としたんだけどね。
読む前は、愚慫さんの言われるイメージでした。
いずれにしろ、このあたりの思索は楽しそうです。
ちょっとばたばたしてるんで、これからですが、ね^^

お読みになりましたか。
毒多さんの今後にも役に立つことだろうと予想します。

>正直いえば3章までは退屈だったんだけど、

ほう、そうですか。

>ワタシは「オプション」と書かれていたことに、逆に「ほっとした」としたんだけどね

まあ、それはわからなくはありません。
宇宙期へ至るのは大変な道のりですからね。
現代の〔社会〕に適応している〔人間〕ならばなおのこと。
大変なことだから、行きたい者だけ行かなければならない者だけが行けばいいじゃないか、と。

宇宙期への入口が危機として出現することと「オプション」とは、ぼくは表裏一体だと思うんです。
【システム】へ適応した【人間】のあり方。

紀州で一緒に過ごしていた爺さんや婆さんたちは、ぼくは多くが宇宙期に至っていたと思うんです。
「畑は趣味」と言い放った婆さんが、ぼくの中では代表選手。
ご主人は亡くなってひとりになったけど、今は猫にまみれて畑をしているそうです。

こういった人たちにとっては、宇宙期に至るというのは、とくに危機を必要としないごく当たり前のことだと思うんです。

その「当たり前」を阻害したもの。
【システム】への憤りなんでしょうねぇ、たぶん。

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