愚慫空論

『サピエンス全史』その19~〔しわよせ〕の歴史

『その18』はこちら (^o^)っ リンク

 



仕切り直しの第二弾です。
仕切り直しといいながら、第二弾更新にも時間がかかるというマヌケぐあい。
この記事は、ブログの管理ページを見てみると9月14日に書き始めてはいるのですが......(^_^;)

難産な記事です。


さすがにちょっと焦り始めました。
それで文章の作り方を変えてみることにしました。
プロットを作ったみた。

予め大枠を作っておいて、枠を埋めるように文章を書いていく。

そうしたやり方をしていたことも以前はありましたが、今は意識的にしないようにしています。
湧き上がってくる言葉をなるべくそのまま記述していく。
もちろん多少の整形はしますが、整形が言葉の湧出を矯めてしまわないようにする。
だから、文章を書き始めても、結びがどうなるかは書いているぼく自身もわかっていなかったりします。
目処はあるけれど、目算通りに行かないことがよくある。(^_^;)

でも、そのやり方では今回ばかりはうまく行かない。
今回の記事自体も、シリーズを書き始めたときにそういう目算があったわけではなくて、成り行きでそうなったんだけれど、「まとめ」という記事の性質がプロットに沿って文章を埋めるというやり方にふさわしいようで、遅まきながらそのことに気がつきました。

文章作成者としては、まだまだ力不足です(^_^;)


仕切り直しの第一弾、『その18』はタイトルを

 サピエンスにおける瑕疵

としました。

サピエンスは食物連鎖ピラミッドの頂点に君臨すべく地球生態系のなかに誕生した種ではありません。
頂点に君臨するには大きすぎる瑕疵を抱えている。

なのに現在は、頂点に君臨している。
そして、頂点に君臨することが重荷になっている。

サピエンスが本来のあるべき位置から頂点へとポジショニングを移動することができたのは「瑕疵」を克服できたから――

では、ありません。
そう思いたいのはやまやまですが。
残念ながらそうではない。

「瑕疵」を「しわよせ」したからです。

では、サピエンスは、だれに、どのように「しわよせ」をしてポジションを移動させてきたのか。
「しわよせ」で得たものはなにか。
その副作用はなにか。

以上のような視点で文章を組み立ててみます。
その視点に基づいて、科学革命までの歴史をまとめてみる。
ここが大枠。

今回は終着点が決まっています。

プロットには大枠を仕切る小枠が必要です。
そこは『サピエンス全史』から

 認知革命
 農業革命
 帝国
 宗教
 貨幣


の5つをピックアップすることにします。


・認知革命

サピエンスは認知革命によってピラミッドの頂点へと立つことができるようになりました。
その〔しわよせ〕を喰らったのは、

 大型哺乳類
 ネアンデルターレンシスなどの、他の人類

サピエンスが「しわよせ」をすることができたのは、認知革命によって〔虚構〕を生むことができるようになったからです。
サピエンスのデフォルト社会規模は150人ですが、〔虚構〕によってデフォルト以上の規模の〔社会〕を営むことができるようになった。

〔虚構〕は〔ヒト〕と〔人間〕とし始めました。
〔虚構〕によって規模が拡大した〔社会〕に〔ヒト〕が適応すると〔人間〕になる。


・農業革命

認知革命の〔しわよせ〕は、サピエンス以外の他種へと行きました。
その〔しわよせ〕作業は現在も続いていて、副作用として環境問題が浮上しています。

 地球温暖化。
 原発問題。

そうした現象は〔しわよせ〕による副作用です。
〔しわよせ〕がサピエンスのところに跳ね返ってきている。
が、これらはここではスルーします。

認知革命から農業革命までの「しわよせ」は、形而上学的には問題はあるかもしれませんが、進化論的には自然の成り行きだと言ってしまって差しつかえないと思います。

農業革命は『サピエンス全史』の見解に基づけば、

 一部の植物への隷属

です。

ムギ・コメ・イモ・マメ・トウモロコシといった少数の植物は〔人間〕の奉仕を受けて大繁栄している。
〔人間〕は、その見返りに、食物連鎖ピラミッドの頂点の座をより確かなものにした。

と、同時に、農業革命で初めてサピエンスは〔しわよせ〕を自らも受けるようになってしまいました。
一部植物への奉仕、これ自体が〔しわよせ〕です。


・帝国

帝国の出現には2つの要因が必要でした。

・農業革命による富の蓄積
・文字の出現

どちらの現象も農業革命の成果です。


文字の出現は、文字に習熟して文字によって秩序を維持する技術者を生みました。
官僚です。

官僚は農業の〔しわよせ〕からは免れます。
もちろん、その分の〔しわよせ〕は他の誰かが受けることになります。
他の誰かを〔しわよせ〕を押し付ける権利を官僚たちは得る。
この権利は【正当化】という形を取ります。

官僚をはじめとする支配者たちの論理は、すべて【正当化】といって差しつかえないと思います。


富の蓄積は、どの場所でも起きる現象ではありません。
天然の農業適地にのみ出現する現象です。
なので、地域が限られている。

・メソポタミア
・エジプト
・インダス
・中国

俗に“四大文明”と呼ばれるものです。

他の地域でも農業革命は起きました。
旧世界ばかりではなく新世界でも起きています。
旧世界に限っていえば、帝国が出現するほどの富の蓄積が可能だったのは、この4つということになります。


富の蓄積は格差を生みます。
そして、格差が戦争を生む。

サピエンスは元来、狩猟採集民です。
“そこにある”獲物を収穫して生命をつなぐ。
動物でも、植物でも。
それらの獲物は、他のサピエンスが〔しわよせ〕を受けつつ育てたものであったとしても、その「しわよせ」を受けたことがないサピエンスには理解ができない。
理解ができなければ収穫をする。

ここに〔ヒト〕と〔人間〕の争いが生じます。

〔ヒト〕と〔人間〕と争えれば、強いのは〔人間〕です。
〔人間〕は〔虚構〕を用いて、〔ヒト〕よりも強力な協力が可能だからです。

〔ヒト〕として自然な営みを妨げられた狩猟民たちは、やがて自分たちも〔人間〕へと変貌していく。
そうなると〔人間〕同士の争いになる。
〔人間〕どうしの争いが戦争です。

あるいは、帝国が拡大して、隣の帝国と境を接するようにもなります。
ここでも戦争が生まれます。


帝国のもっとも大きな副産物は戦争です。
帝国は、帝国内にも帝国外にも格差を生む。
帝国内で低いポジションに甘んじなければならない〔人間〕。
彼らが帝国の〔しわよせ〕を最も受ける者たちです。

支配階級からは搾取され、戦争時は兵士となる。


・宗教

原始宗教は認知革命とともに誕生したとしてと思います。
が、ここでいう宗教は「支配者」としての宗教。
世界宗教です。
世界宗教は帝国が為した「しわよせ」から誕生した。

世界宗教に共通する特徴は“救済”です。
なぜ世界宗教は「救済」を希求するのか?

救済を希求する者がいるからですが、〔ヒト〕はそもそも救済を求めていない。
救済を求めるのは〔人間〕です。
〔しわよせ〕を受けるからこそ、救済が必要になる。

けれど、残念なことに、世界宗教は言葉によって構成される。

言葉を操る技術者は官僚です。
官僚は〔しわよせ〕から免れている者たちです。

すると、どうなるか?
〔宗教〕は【正当化】の論理になる。

もちろん〔宗教〕の宗教たる確信は【正当化】ではありません。
〔しわよせ〕を引き受けることが宗教の核心です。
それは、かの「ナザレのイエス」の行動と振る舞いが端的に示しています。
けれど、その彼を“神の子”として敬う宗教でさえ、引き起こしたのは【正当化】であり、言語技術者が支配する帝国との結合であり、戦争です。

宗教は信じる者へ〔しわよせ〕を押し付けます。
その〔しわよせ〕をわがものとするという離れ技をやってのけることが出来た者だけが救済される。
そのハードルは高いが、決して不可能ではない。
不可能ではないがゆえに、救済を希求する〔しわよせ〕を受けた者たちに信仰される。

ごく稀にアクロバットに成功する者が出るが、大半は〔しわよせ〕を受けて終わり。
現代の「勝ち組」の論理そっくりの悪循環が世界宗教という“現象”の本質だとぼくは考えます。

念を押しますが、これは“現象”の本質のことです。
宗教という“営為”の本質ではありません。


少し、余談。

宗教の中にはこの“現象”と“営為”のパラドックスに気がついているものも、もちろんあります。
キリスト教は気がついていないとぼくは考える。
いまだに「大審問官」が有効だったりするのがその証左だと考えます。

このパラドックスに気がついて、“営為”によって“現象”を克服しようとしたのが大乗仏教でしょう。
が、その試みは成功したとは言えません。


・貨幣

貨幣について書く前に、以前の思索で得た成果を誇示(笑)しておく必要があります。

 ⇒ 身体的価値と言語的価値 (未完結編)

貨幣は4次の感覚です。

1次は個別の生命の左右する触覚、味覚、嗅覚。
2次はサピエンスの社会性を下支えする視覚、聴覚で、これらは触覚からの派生です。
言語は3次。視覚と聴覚の複合感覚。

帝国と宗教は、農業革命によって生まれた富の蓄積と、3次の感覚である言語が成立の要件です。


感覚は発展します。
3次の感覚の最発展型が、“神”や“仏”といった感覚でしょう。
そういう感覚を体得することができれば、それをそのまま体現することができる。
原理的には。

もっともそれにはもうひとつの原理が阻害になります。
サピエンスがもつ身体機能の限界です。

サピエンスは、空を飛ぶことはできません。
たとえその感覚を、たとえばバーチャルリアリティの中で体得したとしても。
物理現象として体現することはできない。
神や仏も、同様のことが言えるのだろうと思います。


『サピエンス全史』によれば、貨幣は最強の“征服者”です。
帝国や宗教は3次の感覚の産物ですが、貨幣が現出させる貨幣経済という現象は、より高次の感覚に基づく現象なのだから、当然と言えます。

3次感覚世界の秩序を把握するのは、なかなかに困難です。
帝国であるなら法律に、宗教であるなら教義に精通しなければならない。
これはなかなか困難なことで、ゆえに専門の言語技術者が要請されることになる。

貨幣経済は帝国や宗教よりも広範な活動領域を持つ現象であるにもかかわらず、そのカナメである貨幣の把握はとても容易です。
誰もが感覚的に理解可能。
それでいて、というより、それがゆえに、貨幣を軸とする〔システム〕は自発的に組み上がっていく。


貨幣が生み出す貨幣経済という現象は、帝国成立以前、それどころか農業革命以前にも見られる現象です。
貨幣経済の出現要件は貨幣と、あとは地勢的な条件です。
地勢的な条件が許せば、あとは貨幣さえあれば、貨幣経済は出現します。

しかも貨幣の形は必ずしも定まっていない。
情報化が進んだ現代社会では自明なことですが、貨幣は情報に過ぎないからです。
情報に過ぎないということは、言語だということなのですが。

言語であるがゆえに、貨幣にも言語学の解析が当てはまります。
シニフィエとシニフィアン。

シニフィアンを感覚と言ってしまうと語弊がありますが、ここではとりあえず、そう言っておきます。
シニフィアンは記号となりうる物理的な“モノ”です。
シニフィエとシニフィアンの関係性は恣意的であり、何がシニフィアンであってもよい。
貴金属であっても、非金属であっても、貝殻でも穀物でも、紙への印刷物であってもいい。縄の結び目であってもいい。

ただ、シニフィアンの性質によって貨幣経済の伝播性には違いが生じます。
これもまた当然のことで、貨幣を表象する“モノ”を〔人間〕が認知しないことには貨幣は機能しないから。
人間にとって認知が容易な“モノ”ほど、貨幣には適した“モノ”だということになります。

現代の情報化社会においては、貨幣のシニフィアンは電気信号です。
その伝播性の簡便さゆえに、貨幣経済は、俗に言うところの“グローバル化”を成し遂げることができた。


貨幣も当然のことながら〔しわよせ〕を生みます。
貨幣所持の多寡で〔しわよせ〕具合が決まる。

貨幣の集散は自然現象とは異なった原理に沿って行われる。
当然、自然現象と貨幣の集散には齟齬が生じる。
その齟齬が、マルクス経済学でいうところの労働の再生産を阻む。
労働の再生産を阻まれる者が〔しわよせ〕を喰らう者。
貧困にあえぐ者です。


・世界システム

上掲したプロットにはありませんが、記事の締めに「世界システム」の項目を付け加えて置きます。

帝国・宗教・貨幣の機能の発展により成立したのが「世界システム」です。

「世界システム」が何かについては、ここではスルーします。
「まとめ」なので。

世界システム論の提唱者であるウォーラーステインによれば、世界システムが成立したのは16世紀とされます。
すなわち「新大陸発見」後です。

ですが、この見解には異論があって、それによれば、すでに13世紀には世界システムは完成しつつあった。ところがその完成を阻む出来事があった。
ペストの流行です。
疫病の大流行によって、一度は成立しかかっていた世界システムが阻まれてしまい、仕切り直しとなった。

世界システム成立の要は“銀”でした。
13世紀においても。16世紀においても。

15世紀末から16世紀にかけて、すなわち二度目の世界システム成立の直前、ヨーロッパの経済を支えていたのは南ドイツアウグスブルクから産出されいて銀でした。
その財源が「新大陸発見」後、中南米へと移る。
そうなることで、西洋中心のウォーラーステイン的世界システムが完成します。

科学革命の前段階にあったのは、この「世界システム」です。


16世紀の「世界システム」成立によって〔しわよせ〕を被ったのは、新大陸と言われる地域で暮らしていた者たちです。
彼らを蹂躙をしたのは帝国。
蹂躙を【正当化】したのは宗教。
そして、それは経済的な要請に基づく現象だった。

科学革命もまた、経済的要請に基づいて引き起こされた現象です。


『その20』へと続きます。

コメント

呆れはしないし、面白いんだけど、
ちょっとスケールがでかすぎて実感はもてないかな。

どうしても、ちっぽけな自らの裡のなかの「しわよせ」はどんなもんなんだろう?身の丈レベルで考えてしまう。

もっともサピエンスの推移というスケールの「しわよせ」が、時間空間をこえて各個の身の丈レベルでの「しわよせ」に反映されているのかもしれないけどね^^

>サピエンスの推移というスケールの「しわよせ」が、時間空間をこえて

はい、まったく仰るとおりで。

ここで展開してみたのは、マクロな話。
では、ミクロな話はどうなるかというと、『子は親を救うために「心の病」になる」です。

http://gushou.blog51.fc2.com/blog-entry-1042.html

ミクロで〔しわよせ〕を最終的に喰らうのは子どもです。
〔しわよせ〕とはミクロのレベルでは【ハラスメント】。

子どもたちが喰らっている【ハラスメント】の起源を遡れば、認知革命と農業革命に行きつく。
突飛でもない話のようですが、順当な話だと思います。

おはようございます。

なるほど、身の丈レベルのミクロな愛着障害(子は親を救うため……に書かれた事例のような、母子関係障害)の「しわよせ」という構図が、地球規模、紀元前からの時間の推移規模という「母親」が、現在という「子ども」にもたらす「しわよせ」と同じである。という読み方をすればまったく退屈することないですね。

後者の「母親」の聞く耳をもたない頑固さや虐待、ネグレクトetcetcから、自ら解放されなければならない「子ども」であるワタシ達ということからすれば、本と同じようにまず「母親」を識り、「母親」との関わりを識り、その「母親」の因果の表出である自己を識る、という自己カウンセリングは必要でしょうね。

(いやいや、退屈への違和感はそんなことじゃないんだ、と言われそうかな、爆!!)

エリザベス・キューブラー=ロスという人をご存知ですか?

ターミナルケアの先駆者で『死ぬ瞬間』という本を書きました。
その本によると、死には5つのプロセスを進むそうです。

  否認⇒怒り⇒取引⇒抑うつ⇒受容

キューブラー=ロスは死に行く人たちをたくさん観察して、死の過程をそのように「俯瞰」したんですね。

では、その視点を得たキューブラー=ロス自身はどうだったのか?
晩年のキューブラー=ロスを取り上げた動画があります。
https://www.youtube.com/watch?v=4qj72ViiheA

キューブラー=ロスは俯瞰しただけではなく、その知見に基づいて、多くの「死にゆく人」を救済に導いた。だったら、彼女自身が「死にゆく人」になったとき、もうすでに救済されているはず。

いえいえ、そうではなかったんですね。

俯瞰は俯瞰でしかなかった。
どれほど観察を重ねても、やっぱり他人事は他人事。

ええ、「自己カウンセリング」は必要でしょう。

では、毒多さんにその覚悟があるのか?
そういう問題です。

そういう問題だけど、ぼくにとっては他人事(^_^;)
他人事なんだけどね。気になる。(^o^)

どんなに壮大な俯瞰も「わがこと」にしなければあまり意味はないと思います。
【正当化】の役に立つくらいのことです。
多くの宗教がそのように使われてきたように。

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