愚慫空論

身体的価値と言語的価値 (完結編)

『未完結編』はこちら (^o^)っ リンク

貨幣は言語です。
4次元の実在感を持つ言語。

〔人間〕の言語のもっとも大きな特長は再帰構造(リカージョン)を持つことです。
貨幣も言語ですから、再帰構造を持つ。


経済学の用語でマネーストック(マネーサプライ)、マネタリーベース(ハイパワードマネー)というものがあります。

マネーストック、マネタリーベース、いずれにも専門的な解説がありますが、スルーします。

マネーストックとは、財のための貨幣(の集合)。
マネタリーベースとは、貨幣のための貨幣(の集合)。

財とは〔人間〕にとって有用な資源の集合です。
財がシニフィエであり、貨幣がシニフィアンです。
4次の言語としての貨幣です。

言語である貨幣が再帰構造を持つ。
すると、貨幣自身がシニフィエになります。

貨幣がシニフィエになると、シニフィエを指し示すシニフィアンが要求されますが、現段階ではいまだその要求は満たされていません。
名前がない。
名前がないから存在しないと考えられている。
でも、よくよく観ると存在している。
なので、仮に、超貨幣とでも言っておきましょうか。

超貨幣、すなわち“ハイパワードマネー”です。

奇妙なことです。
本当は名前はあるんです。
複数形(集合)にだけはシニフィアンがある。

もとより“money”は不可算名詞だから、単数と複数とが同型だということはあります。
けれど、形式(シニフィアン)が同型であるからといって、その内容(シニフィエ)が同型であるとは限りません。
現にぼくたちは、単数の(概念としての)貨幣と複数の(実体としての)貨幣を、同じ“貨幣”“おカネ”“円”“ドル”といった記号(シニフィアン)を用いながらも、内心では区別しています。

その、内心の区別すら、ありません。
単数としての、概念としての超貨幣が抜け落ちてしまっている。


超貨幣は、貨幣のための貨幣です。
存在感としては5次の言語です。

超貨幣にはもはや実体はありません。
というより、実体は存在し得ない。。
データとしてしか存在しようがない。
データとしてしか存在しようがないことが、シニフィアンが生み出されなかった理由のひとつでしょう。

もうひとつの理由は存在感の無さ。
触覚に源を発する存在感も、5次ともなると希薄になるのは道理でしょう。
まして、データとしてしか存在し得ないとなると、なおのこと。

ほとんどの人間は超貨幣を実感を持って想像することはできないと思います。
ぼくもできない。
超貨幣は、度を超して観念的な実存です。



言語に再帰構造をもたらしたのは認知革命です。
貨幣にも再帰構造をもたらす出来事はありました。
科学革命がそれです。

 


中断したままになっている『サピエンス全史』シリーズですが、中断の理由がこの記事です。
『身体的価値と言語的価値』がその理由です。

貨幣が4次の言語であること。
現在の金融貨幣経済は4次の言語が再帰した5次の貨幣に支配されていること。

このことを提示しておかないと、科学革命の意義が見えない。
科学革命は、産業革命を引き起こしただけではない。
〔人間〕を【人間】へと追い詰めた“最後の一撃”でもあります。



やっと結びに入ることができます。
前編から書き始めたときには、こんなに長くなるとはぼく自身でも思っていませんでした。


ぼくのテーマは、「サピエンス性善説」「〔人間〕から〔ヒト〕へ」、です。
結びはどうしてもぼくのテーマに沿ったものにしなければなりません。
そうしないとテーマが破綻してしまいます。


5次の言語、すなわち超貨幣は不要です。
もはや存在感を感じられなくなってしまうほど高次の言語など、必要がありません。

いえ、必要がないは違います。
少なくとも、現在はまだ必要です。
それが〔ヒト〕を【人間】へと追い込んでしまう【システム】であったとしても、ただちに廃絶することは害悪が大きすぎます。
〔虚構〕にささえられたものであっても、サピエンスに秩序は必要です。


例え話をしてみます。
乗り物を想像してみます。
たとえば自動車。たとえば飛行機。

現代の巨大な飛行機は、ほとんどがコンピュータ制御だということだそうです。
飛行機を飛ばすことは自体は、サピエンスの感覚の延長で可能です。
訓練は必要ですが、サピエンスの身体の拡張性は、飛行機の飛行に対応することができる。

自動車も同様です。
サピエンスは訓練次第で、自動車をあたかも自身の身体のように操ることができるようになります。

これは〔ヒト〕であるということです。

ところが、現代の巨大な飛行機はコンピュータ制御になっている。
その方がパイロットが楽というのもあるのでしょうけれど、本当の理由は、巨体の制御が〔ヒト〕の拡張性の限界を超えたところに来てしまっているからだろうと思います。
判断しなければならないパラメータが多過ぎて、サピエンスの脳の処理能力ではもはや追いつかない。


同様のことが金融経済社会についても言えると思います。
巨大になり過ぎたシステムを運営するのに要求される能力が、サピエンスが備えているものを越えてしまった。


では、どうしたらいいのか?

選択は2つです。
〔ヒト〕⇒〔人間〕⇒〔神〕へと行くか。
〔ヒト〕⇒〔人間〕⇒〔ヒト〕へと行くか。

〔神〕への道は、サピエンスが持たないとぼくは思います。
科学技術を発達させたサピエンスは、6次の言語をも生み出すことができるかもしれません。
いえ、6次の言語を生み出す存在があるとしたら、それはサピエンス自身ではなくサピエンスが生みだした知能、すなわちAIだろうと思います。



この道を行ってしまうと、サピエンスは自分自身に怯え続けなければならない。
AIへの恐怖、シンギュラリティへの懸念は、自身への怯えの影でしかない。
このまま進めば、怯えの影は自滅願望となり、サピエンス自身を滅ぼすことのなると思います。


もう一度、乗り物の話に戻ります。

現代の自動車もさまざまなコンピュータ制御が用いられています。
自動運転は目処がついてきたし、進展がめざましいのは安全技術です。

サピエンスは判断ミスをしてしまいます。
これは、サピエンスの身体構造上、避けようのないことです。
コンピュータもエラーは起きますが、サピエンスよりはずっと少ない。
エラーの少なさがそのまま安全性へと直結していく、そうした技術が進んでいる。

しかし、一方で、現代の自動車は「運転する快感」を追求されてもいる。
ハンドリングやブレーキング、車体の制御にコンピュータの力を援用しながら、ドライバーが運転を自在に操る楽しさを損なわないように設計され、製品化されています。


〔ヒト〕⇒〔人間〕⇒〔ヒト〕への経路を辿るのに、上述の自動車運転制御のような技術の使い方は可能なはずだ、といのがぼくの見解です。
そのための技術はすでに出揃っている。
足りないのはイノベーション。
技術の使い方。
技術をどのように使うのかという創造力。

コンピュータが6次の言語を生むことが可能であるのなら、コンピュータによって5次の言語を不要なものとすることもできるはず――言語化してみれば、ごく単純な発想です。


ゲゼルマネー、減価する自然通貨。
ほとんどのマネーが実体を失った経済社会。
ビットコインに代表される仮想通貨を生みだした、ブロックチェーン。

いずれもコンピュータと親和性が高い、もしくはコンピュータなしではありえない技術です。


ゲゼルマネーを特長を端的に言うと、4次で完結した言語だということです。
完結し得る言語、と言った方がいいか。
ゲゼルマネーは円環構造を形成することができるからです。

貨幣ネットワークシステムを円環構造にすることは、システムを民主化することでもある



身体現象世界秩序は、全体でみれば円環構造になっています。
価値とは、秩序の一部を感覚によって把握することによって生まれる実在感です。
それは、身体的であっても言語的であっても同じ。

科学革命が生んだ5次の言語は円環構造をしていません。
それはブラックホール型です。
どんどん巨大化して「重力」を増していく。
〔ヒト〕をして【人間】たらしめていく“強欲”という名の【重力】です。

 ⇒ 【強欲】とは「強いられた欲望」のことである その1
 ⇒ 【強欲】とは「強いられた欲望」のことである その2
 ⇒ 【強欲】とは「強いられた欲望」のことである その3
 ⇒ 【強欲】とは「強いられた欲望」のことである その4


【重力】を技術によって、技術が適切に用いられた〈システム〉によってキャンセルすることができれば、何が起きるか。

【システム】によって抑圧されてしまっている〈いのち〉の本来の《形》。
〔裡なる欲求〕の解放。
愉楽の追求。
〔ヒト〕への回帰。
あるいは〔ヒト〕から〈人間〉への変化。

そのようなことが起きると思う。

客観的な確証は、どこにもありません。
でも、主観的な確信は、ぼくの中にはある。
同様の主観的確信が共有されれば、確信された社会になっていくだろうという希望もある。
その希望を端的に言えば、「人間性善説」ということになる。


アタマの中だけでは薔薇色です。
薔薇色はアタマの中だけ、だということはよくわきまえておく必要があると思います。
でも、だからといって薔薇色を否定してはいけません。

現実に負けて、薔薇色を否定してしまう態度は怯懦です。



コメント

乗り物などよりもっとふさわしい例えを思いついたので、追加コメント。

助産師。
助産師の技術のあり方。

産科医を否定しようというわけではないけれど、産科医はどうしても、技術が〔ヒト〕を上回ろうとする傾向を持つ。そのように【教育】されてしまうから。

その点、助産師の仕事は、上に産科医か存在するということもあるのだろうけれど、技術のあり方に一定の歯止めが掛かっているように思う。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事へのトラックバックURL
http://gushou.blog51.fc2.com/tb.php/1038-20136664

 | HOME | 

 
プロフィール

愚慫

Author:愚慫
“愚樵”改め“愚慫”と名乗ることにしました。

「空論」は相変わらずです (^_^)

      

最近の記事+コメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

QRコード
QRコード