愚慫空論

ブルックナー その1

自分でも意外なことに、ブルックナーについて書くのは初めてのようです。


ヨーゼフ・アントン・ブルックナー(Joseph[1] Anton Bruckner, 1824年9月4日 - 1896年10月11日) は、オーストリアの作曲家、オルガニストである。交響曲と宗教音楽の大家として知られる。





ブルックナーは不思議な人物です。

近世以降、著名人はたいてい肖像画が残っています。
そしてたいていは、残された肖像画とその人物の業績とは、なんとなくイメージが合うもの。
それはおそらくは先入観の為せる技だと思うんですけれどね。

肖像画を描く人間も眺める人間も、その人物の業績がアタマにインプットされている。
描くときにも眺めるときにも、インプットされたデータの影響を受けて、そのように描いたり眺めたりしてしまう。


最近はそういうことはなくなったと聞き及んでいますが、小中学校の音楽室には、クラシック音楽界の“偉大な”作曲家たちの肖像画がかならず壁に掲げられていたものでした。

J・B・バッハが最右翼で、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ショパン、ブラームス、ワーグナー、ドヴォルザークなどなど。あと、日本の作曲家として、滝廉太郎とか。いずれの面々もみな、“それらしい”面持ちをしていたし、そのように見えたものです。

ウブな小中学生の頃とは違い、いまはそれほど純朴に肖像画を眺めることはできませんが、それでも、やはり彼らの作品と彼らの肖像のイメージは、どことなく一致する。

ところがブルックナーだけは、なかなかイメージが合いません。
風貌がどうにも高尚な(?)クラシック音楽の作曲家というには凡庸というか。
知性の鋭さのようなものがないというか。

ブルックナーの音楽は、大自然の鳴動だと評されます。
自然の描写ではない。
自然そのものを音で表現しようとしたもの。
ブルックナーには未完の9番、習作とされる0番を含め、10曲の交響曲が知られていますが、そのどれもが同じテーマをもとに書かれている。ひとつのことを繰り返し繰り返し、書き直している。

ブルックナーという人は、ある面で徹底的に自信がない人。
けれど、ある面では揺るぎない自信がある人。

社会的な〔人間〕としての自信。
何の根拠もない〔ヒト〕としての自信。
このふたつの自信の落差がとても大きい。

その意味では、外見的なイメージはまったく違うけれど、この人によく似ていると言えるかもしれません。



浦野さんちのすずちゃんは、絵が得意な女の子でした。
ブルックナーさんちのアントンくんは、音楽が得意な男の子でした。
このふたり、生まれた環境は、洋の東西の違いはあれど、自然にごく近いところ。

アントン君は、偶然にも才能を認められて、音楽家として生計を立てるようになった。
すずちゃんには、そういう偶然は訪れなかった。
けれど、もし、すずちゃんにもそういう偶然があって、彼女が本格的に絵画を学んでいたとしたら、どんな作品をものにしたか。
すずちゃんが、自分からは遠いような作品、たとえば雪舟の水墨画のような作品に感銘を受けるようなことがあって、雪舟を追いかけて絵を学んだとしたら。

くだらない妄想ですが、もし、そういう画家がいて、自身で自画像を描いたら、ブルックナーと同じような、彼女が残した作品のイメージとは一見合わないものになるような気がします。



続きを書いてみたいと思います。
『その2』へ

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