愚慫空論

『プレイバック』読了

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苦い読書でした。
コーヒーの味わうかのような
読み進めるのも、コーヒーを味わうように、ぼちぼちとすすりながら、という感じになってしまいました。


そうですね、本書を読むなら、先に「訳者あとがき」から読むのが面白いかもしれません。
先に「あとがき」を読んでしまうと、ストーリーの概略が大方掴めてしまうし、主人公に対する先入観も生まれてしまいます。
でも、それでいいんじゃないかと思います。このハードボイルド小説は。

正直、ストーリーはそんなに面白いものではありません。
もっとも味わい深いは、フィリップ・マーロウの為人(ひととなり)だろうと思うから。
苦みの利いた、でも、雑味が削ぎ落とされたコーヒーのような味わい。


僕がレイモンド・チャンドラーの『プレイバック』を翻訳しているというと、大抵の人は同じ質問をした。「それで、あの部分はどう訳すんですか?」と。まるでそれ以外に、この小説に関する話題は存在しないかのように・・・・。
「あの部分」というのは、もちろん、あの決めの文句のことだ。



 If I wasn't hard, I wouldn't be alive.
 If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.


訳者である村上春樹さんがどのように訳しているかは、もちろん、書くわけにはいきません。



それにしても、主人公のフィリップ・マーロウは、迷惑な男です。

依頼を受けた尾行対象に、必要以上の関心を抱いてしまう。
ここでいう「必要」とは、彼が稼業としている私立探偵として、という意味。

金を稼ぐのなら、依頼主の意に沿うように動くのがクレバーというもの。
そうした「クレバー」を追求することが職業倫理というものでもあるでしょう、一般的には。
英語で「クレバー(clever)」、日本語で言うなら「弁える」というのが適切かもしれません。

マーロウは倫理の追究者です。
でも、弁えない。
職業倫理の枠を易々と跳越えて行ってしまって、純粋な倫理へ行ってしまう。
当人は職業倫理のつもりのようですけれども。

いや、マーロウのそれは倫理と言っていいのかどうかは微妙です。


マーロウは弁えません。
あらゆる対象を、ただ「人間として」関心を持つ。
それがマーロウの為人です。

だから、マーロウの視線からの描写は、社会的な意味を持つもの(服装であるとか、車種であるとか)に対してはどこかアイロニカルなものになる。


マーロウは、ただ「人間として」関心を持つけれども、寄り添うことはしません。
彼は自ら進んで人間に巻き込まれ、結果、人間を巻き込む。
人間だけを、と言った方がいいでしょう。

 If I wasn't hard, I wouldn't be alive.
 If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.


の hard は、「人間だけ」を、つまりは「社会的なもの」を削ぎ落とすことに必要な資質のことを指しているのだと僕には感じられます。

〔虚構〕に支配されなれば成立しない人間社会の中で「社会的なもの」を削ぎ落とすことが、大変に hard なことだということは、いっぱしの社会人なら想像が付くことでしょう。

弱っている人間に敏感で、弱っている人間を察知すると自ら巻き込まれていこうとしてしまう。
それが社会的であろうとする人間、弱っているがゆえに余計に社会的であろうとする人間には、どれほど迷惑なことか。

マーロウに関われてしまうと、勝手に「わがこと」にされてしまう。


マーロウがそのような人間だと捉えるなら、

 If I wasn't hard, I wouldn't be alive.
 If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.


のニュアンスは一般的な意味とはずいぶんと趣がちがうものになります。

一般的なニュアンスでは、hard は望ましくないことです。
どちらかといえば、望ましいのは easy.

ところが、マーロウは違う。
hard こそが彼にとって望ましいことです。それゆえの

 If I wasn't hard, I wouldn't be alive.

マーロウにとっては hard であることが be alive です。

では、

 If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.

は、どういったニュアンスになるのか。

自愛だろうと思います。

マーロウにしてみれば、「わがこと」として巻き込むことが gentle です。
そのように振る舞うことができて初めて、deserve と感じる。
なんとも迷惑な自愛です。

でも、巻き込まれてしまえば、迷惑は180度ひっくり返る。


そう理解するならば『プレイバック』の最終28節の意味も理解できようというもの。
マーロウに巻き込まれた人からの、ラブコール。
マーロウの為人の結実です。


もうひとつだけ。

ストーリーとはほとんど関係のない老人が登場してきます。
舞台をじっと観察している老人。

作者のレイモンド・チャンドラーは、関係のない老人に関係がないようなことを、ずいぶんと雄弁に語らせます。

私くらいの歳になると、ごく些細なことに興趣を覚えるものなのだよ。ハミングバードやら、極楽鳥花が開花するときの驚くべき一部始終とかな。どうして生長のある特別なポイントで、その蕾がしかるべき角度に向けられるのか? どうして蕾はあれほどゆっくりと割れていくのか? (中略) 君は神を信じるかね?」

それはひどい回り道だった。しかし、私はその回り道を辿らなければならなかった。....



といったやりとり。

僕には、この老人が語る人生観は、チャンドラーのそれであるような気がします。
つまり、作者と作者が創造したキャラクターの対話。
興味深いです。

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