愚慫空論

『銃・病原菌・鉄』その2~ピサロはなぜ勝利できたか

『その1』はこちら (^o^)っ リンク



近代において人口構成を最も大きく変化させたのは、ヨーロッパヒトによる新世界の植民地化である。ヨーロッパヒトが新大陸を征服した結果、アメリカ先住民(アメリカ・インディアン)の人口が激変し、部族によっては滅亡してしまったものもある。しかし、第一章でのべたように、新大陸に人間が移り住んだのはこれが初めてではない。人類は紀元前1万1000年頃、あるいはそれより以前に、シベリア、ベーリング海峡、アラスカを経由してアメリカ大陸に移住し、それ以来アメリカ大陸では、その移住経路の遙か南方に至るまで複雑な農耕社会が形成され、旧世界で誕生しつつあった複雑な社会とはまったく無関係に発展した。アジア大陸から人々が移住したあとも、ベーリング海峡の両岸の狩猟採集民の間には接触があった。また、南米を経て海上ルートでポリネシアにサツマイモが伝えられたと思われる。新世界とアジア太平洋域との接触ではっきり検証されているのはこの2つだけである。

アメリカ大陸の原住民とヨーロッパ人との接触については、西暦986年から1500年頃までの間に古代スカンジナビア人がグリーンランドに少数住み着いているが、とくに目に見える影響は残していない。むしろ、旧世界とアメリカ大陸に住む人々の積極派、西暦1492年にクリストファー・コロンブスがアメリカ先住民が大勢住むカリブ海諸島を「発見」したときに、突然始まったといえる。



常のごとく、長々と引用させてもらいました。

引用としては長いとはいえ、この引用がカバーしている範囲に比べれば、実に簡潔に凝縮された文章です。
新世界が旧世界に征服される前段を説明する文章としては卓越しています。


ヨーロッパ人とアメリカ先住民との関係におけるもっとも劇的な瞬間は、1532年11月16日にスペインの征服者ピサロと隠家庭コックのアタワルパがペルー北方の高地アハマルカで出会ったときである。アタワルパは、アメリカ大陸で最大かつもっとも進歩した国家の絶対君主であった。対するピサロは、ヨーロッパ最強の君主国であった神聖ローマ帝国カール五世の世界を代表していた。そのときピサロは、168人のならず者部隊を率いていたが、土地には不案内であり、地域住民のこともまったくわかっていなかった。一番近いスペイン人の居留地(パナマ)から北方1000マイルのところにいて、タイミングよく援軍を求めることもできない状況にあった。一方、アタワルパは何百万の臣民を抱える帝国の中心にいて、他のインディアン相手につい最近勝利したばかりの8万の兵士によって護られていた。それにもかかわらず、ピサロは、アタワルパと目を合わせたほんの数不運後に彼を捕らえていた。そして、その8ヶ月後、アタワルパを人質に身代金交渉をおこない、彼の解放を餌に世界最高額の身代金をせしめている。しかもピサロは、縦22フィート、横17フィート、高さ8フィートの部屋を満たすほどの黄金をインディオたちに運ばせた後、約束を反故にしてアタワルパを処刑してしまった。



ジャレド・ダイヤモンドさんの問題意識は、まず

 「なぜ、ピサロは皇帝アタワルパに勝利できたか」 

です。そして次に、

アタワルパが捕まった瞬間は、有史時代における最大の衝突の結果を決定的にした瞬間である。その意味において、われわれはアタワルパの捕獲に対して重大な関心を寄せている。しかし、移住者と原住民の間で同じような衝突が起こった場合、その成り行きを決定的にする要因はピサロがアタワルパを捕まえることのできた要因と本質的に同じである。



要するに。
ピサロがアタワルパに勝利できたのは偶然ではない。
普遍的要因が存在する。

アタワルパがピサロの勝利するという「偶然」はあり得たかもしれない。
だからとって、インカ帝国がスペインに勝利するというようなことは有り得なかった。
旧世界が新世界を植民地にすることはできても、その逆はない。

旧世界が新世界を植民地化することができた理由。
それこそが

 銃・病原菌・鉄

だというのがダイアモンドさんの主張であり、本書の内容です。


でも、よく読んでみると、変です。

1700年代になると、アメリカ大陸や先の地域の先住民を侵略するヨーロッパ人は、それまでの剣に代わって銃器を主たる武器とするようになった。



え? 1700年代?

ピサロがアタワルパに圧倒的勝利を収めたのは1532年だと明記されています。


ちなみに、日本の種子島に鉄砲が伝来したのは1543年だとされています。
そして、天下分け目の関ヶ原の合戦があった1600年までには格段の進化を遂げた。
ヨーロッパのものよりもずっと高性能なものになった。

日本は戦国時代だったからです。


銃は、すくなくとも、ピサロがアタワルパに圧倒的勝利を収めた「カハマルカの惨劇」においては、主たる武器ではなかった。
その後も銃はしばらくの間、主たる武器ではなかった。そして、その「しばらく」の間に、ヨーロッパ人は新大陸の大半を植民地化してしまっていた。



この事実は何を意味するのか?

素直に考えるならば、「銃」は、旧世界が新世界を植民地化することができた理由ではないということです。新世界の植民地化を確固たるものにはしたでしょうけれど。


では、「銃」に変わるものは何か?
それとも、「病原菌」「鉄」だけで十分に条件は成立していたのか?

いいえ。「銃」に変わるものは存在します。

ピサロ側が有利だったのは、スペイン製の剣などの武器を持っていたことである。鉄製の甲冑、銃器、そして、馬を持っていたのもピサロ側である。


スペイン側の装備はどのくらい優勢だったのだろうか。今日、われわれがそれを数字として把握するのはむずかしいが、カハマルカの戦いでは、たった168人のスペイン軍が一人の犠牲者も出さずに何千人という敵を殺し、自分たちの500倍もの数のインディオを壊滅状態に追い込んでいる。何十人かの馬に乗ったスペイン兵が何千人ものインディオを惨殺したことは、ピサロのその後のインカ帝国との戦いを伝える話の中で幾度となく語られている。コルテスによるアステカ帝国の征服や、他のアメリカ先住民との戦いを伝える話のなかでも述べられている。


馬は、紀元前4000年頃、黒海北部の大草原で飼い慣らされるのとほぼ時を同じくして、それまでの戦いの在り方を一変させている。人々は馬を持つことによって、自分の足だけが頼りだったときよりもはるか彼方まで移動できるようになった。奇襲攻撃もできるようになったし、敵方の精鋭部隊の反撃の前に引き揚げることができるようにもなった。馬は黒海周辺で最初に導入されてから、あらゆる大陸に広がっていった。そして馬は、20世紀初頭にいたるまでの6000年の間、戦場における有効な武器であった。カハマルカの戦いで果たした馬の役割は、まさにこのことを如実に物語っている。第一次世界大戦まで、騎馬は陸軍の中心的戦力であった。馬を所有していたこと、鉄製の武器や甲冑を所有していたこと、これらの利点を考慮に入れれば、金属製の武器を持たない歩兵相手の戦いにおいて、スペイン側が圧倒的な数の的に勝ち続けてたことは驚くべきことではない。



銃はピサロが皇帝アタワルパを捕虜にした時点でたしかに存在した。
だが、まだまだ原始的な域を出ない火縄銃が、火縄銃を手にした兵士が、500倍もの敵を殺したなどということはありえません。

もっとも大きな戦果を上げたのは、鉄剣を手にした騎兵だった。すなわち「馬」です。
これは歴史的な常識でもありますし、そう記述もされている。
にも関わらず、ダイヤモンドさんは、「銃」を主たる要因に上げている。

不自然です。
そして、不自然には理由がある。


もうひとつ、「不自然」を指摘しましょう。

冒頭から3番目の引用の下線部分。

 「ヨーロッパ最強」

え? なぜ、ヨーロッパ最強になるのか?
その前後の記述では、「旧世界」です。
「旧世界が新世界を征服した」と繰り返し記述されています。

ではスペインは旧世界最強の帝国だったのか?

歴史的常識をわきまえている人間には、この問いは愚問です。
15世紀のヨーロッパは、旧世界の中ではむしろ弱い地域だった。
中東や東アジアに存在した帝国の方がスペインなどよりずっと盛強だった。

ヨーロッパが15世紀の時点ですでに世界でもっとも盛強を誇った地域であって、その地域の最強がスペインで、だから、スペインが新世界を征服することができた、というのならごく自然なこと。なぜそうなったのかの説明はとくに不要です。

でも、事実はそうではなかった。ならば、説明が必要なはずです。
その説明を展開するのに必要な手法は『銃・病原菌・鉄』に十分、示されています。

にも関わらず、それが為されていない。
なぜか?

「馬」ではなく「銃」である不自然。
「旧世界」最強ではなく「ヨーロッパ」最強である不自然。
そして、戦闘に置いて「馬」といえばモンゴル騎兵が世界最強であったという事実。

ふたつの「不自然」の理由が、3番目の「事実」にあると考えるのは不自然でしょうか?


同様の「不自然」が


 


のほうにもあると、ぼくは感じています。
『サピエンス全史』の著者であるユヴァル・ノア・ハラリさんと、ジャレド・ダイアモンドさん。
両氏とも、同様の【隠蔽】を為そうとしているようにぼくは感じている。

その感触が、『サピエンス全史』を中断して『銃・病原菌・鉄』シリーズを間に挟む理由です。


『その3』へ続きます。


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