愚慫空論

「ギブ&ギブおまけにギブ」by堀江貴文氏

期せずして、こちらの続きです(^_^;)

 
 堀江氏が語る仕事で成功する心得「ギブ&ギブおまけにギブ」  


仕事やビジネスを進める上で、一番大切なのは「信用」だ。作り方は人それぞれだが、私からアドバイスできることもある。

 一つは人間関係の「断捨離」だ。(中略)

次に大切なのは、「与える気持ち」だ。(中略)

信用を得るためには、相手と「ギブ&テイク」という関係性を築くだけでは足りない。「ギブ&ギブ」、おまけに「ギブ!」くらいの気構えが必要だ。(後略)



正鵠を射ていると思います。
〔ヒト〕というのは、こういった生き物だと思います。
〔ヒト〕が〔人間〕となるのに、堀江氏の方法は正鵠のど真ん中だと思います。

でも、、同時に大きく外しているとも思う。
矛盾したようなことを言いますけど。

何が、どこが外れているのか。



堀江氏の文章を読みながら思い起こされたのは、この動画。



『北の国から』。ずっと初期の頃のお話しです。



この動画については、以前、文章を書いたことがあります。

 ⇒ 愚慫空論『「当事者」の時代 その2』


清吉オジサンは語ります。
死んでしまった“へなまずるい”杵次を代弁して。

生き残るために死に物狂いならざるを得なかった。
生きる術としての土地。
土地への執着。
〔生〕への執着。

みなが執着の中で生きていた。
でも、昔は“仏の杵次”だった。

「ギブ&ギブ」おまけに「ギブ!」くらいの気構えがあり、実践もしていたということのはずです。
でも、「信用」を築くことはできなかった。
〔生〕への執着の中に呑み込まれてしまった。


運が悪かった。
努力が足りなかった。
あるいは、“仏の杵次”はフィクションに過ぎない。
もっというと、堀江氏の話も、幸運な一ケースに過ぎない。

拒絶するのに理由はいくらでも浮かぶでしょう。
関心がない、でもいい。

けれど、事実であろうがなかろうが、すべて「わがこと」として受け止めてみれば?

堀江氏の方法も、本当。
清吉オジサンの激白も、本当。
そして、いずれも〔善意〕に満ちた同じ人間である。

だったら、違いを生んだのはなにか。
――環境条件。
そう考えるのが、順当だと思います。


堀江氏の「方法」が正鵠を射つつ外しているのは、そうした「方法」が成立する条件を無視して、その「方法」があたかも人間社会普遍のものであるかのように語っていること。

人間関係の「断捨離」なんて、カンタンにできません。
だれもが自由な大人になれるものではない。
そうでなくても、子どもには大人の庇護が必要なのに。
断捨離したい大人に庇護された子どもはどうすればいいのか。

「ギブ&ギブ」おまけに「ギブ!」は、確かにすべての人間にできるものではない。
短絡的に言ってしまいますが、E.T.は生来的にそういう「障害」をもった〔ヒト〕です。
ところが、現実社会の多くの場面では迫害される。
社会の進展につれて、迫害されるケースが増えてきている。

「ギブ&ギブ」おまけに「ギブ!」がリアルタイムで通用するのは、【社会の進展】がいまだ及んでいない社会の一部だけです。

  ⇒ 愚慫空論『完熟堆肥

【執着】が〔社会〕を【進展】させます。
【執着】が自己組織化したのが【システム】です。



上の動画では【執着】の対象は「土地」でした。
こちらでは「おカネ」です。
「ギブ&ギブ」おまけに「ギブ!」が「おカネ」の形をとった。
そして、それは確かに「信用」になった。純と五郎のあいだにおいて。

でも、その「信用」は不幸の種になってしまった。
【執着】に呑み込まれてしましました。


【システム】のなかでは起きるのは嫌気発酵です。
「ギブ&ギブ」おまけに「ギブ!」と自身を「燃焼」させようにも「酸素」が足らない。「全生」で生きようとしても、受け皿がない。

〔ヒト〕に限らず生物は、すべからく〔全生〕で生きるように設計されています。
【システム】は「酸素」の供給を絶って、〔全生〕を阻害してしまいます。


堀江氏の「方法」は正しい。
ただし、部分的にです。
「方法」が整理する条件は見落とされるのではなくて、「個人の努力」に帰着せしめられている。

ここは大外れです。
ラッキーな〔人間〕の「都合のいい話」でしかない。

でも、それが受け入れられる。
消費物として。
「都合がいい」からこそ受け入れられる。
しばし夢見ることができるから。



このようなファンタジーが受け入れられるのと、「同型」です。
『北の国から』が「いい話」になってしまうのも、「同型」。



※ リアルタイム

通常の意味とは異なります。
人類史的なスパンにおいて、リアルタイム。
「ギブ&ギブ」おまけに「ギブ!」の効用を当人が観察することができる、くらいの意味です。

「ギブ&ギブ」おまけに「ギブ!」の効用は、当人が観察できないのが人類史的には普通です。
その効用が観察できるのは、次世代以降になるのが通常です。
ちなみに林業といったような産業は、その「通常」に立脚しています。

暦はまもなく「お盆」に入ります。
先祖といったものを祀るという現象が人類に普遍的に視られるのも、「通常」ゆえにです。
「ギブ&ギブ」おまけに「ギブ!」の効用を観察する者が、その「種」の在処を認識するから、先の世代を顕彰することになる。

〔人間〕だということです。

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