愚慫空論

「おカネの本質」 by 堀江貴文氏


「おカネの本質」とは何か? 堀江貴文氏が解説

ライブドアニュースからネタを拝借。
タイムリーでもあるし。

情報は入ってくるものではない。こちらから、取りに行くものだ。仕事やカネで失敗し、いつまでも悪い環境から抜け出せないような人は、環境に負けたのではなく、単純に情報弱者なのだ。情報弱者だから、カネの本質というものをまるでわかっていない。




この文章を味覚で例えるとすると、アルコール度数の高いカクテル飲料でしょうか。

ウォッカベースのスクリュードライバー。あるいはブラッディメアリー。
度数が強いわりには口当たりが良くて、女性向き(?)とか言われたりしています。

で、世の中というか、生物界には個体差というものがあります。
サピエンスのなかにはアルコールに耐性のある個体とそうでない個体とがある。
この個体差を敢えて「才能」と、ここでは言っておきましょう。
「才能」と「能力」は同じようなものですけれど、ここでは「才能」がふさわしい。

〔人間〕の中には「才能」のある者もいれば、そうでない者もいる。
「才能」がある者は、「おカネの本質by堀江貴文氏」を呑んでも酔わないでいられる。
「才能」がない者は、同じものを呑んでもアルコールに負けて自分を見失ってしまう。

“詐欺的飲料”といってしまうのは言い過ぎでしょうけれど...

詐欺師たちが人を騙す信用の構造と、人々がカネを盲信する構造は、皮肉なことによく似ている。どちらも実体のないものが、ありがたがられている。「価値がある」「保証されている」と世間の誰もが言うから、信用しているにすぎない。信用の本質の部分は、必ずしも問われていないのだ。



馬脚が出ていると思います。

「詐欺師たちが人を騙す信用の構造と、人々がカネを盲信する構造は、皮肉なことによく似ている」

いいえ、違います。
「似ている」のではなくて、「同じ」です。



この「同じ」を「わがこと」として受け止める。
これは、ぼくにとっては『コーヒーの味』に似ているものです。


カネと詐欺。違いはもちろんあります。
国家が保証しているか否かです。
国家の暴力性を持って担保されているのが「カネ」。
だから貨幣の偽造には国家より刑罰が与えられるし、詐欺行為も国家が罰する。
そして、詐欺行為かどうかを裁断するのも国家です。


整理しておきます。

信用構造は詐欺もカネも同じです。
国家の強いたルールに則った詐欺は適法とされ、そうでないものは刑罰の対象になる。


堀江氏に以上のように返答すれば、そのことを指して「よく似ている」と言ったのだという答えが返ってくるかもしれません。国家権力によって処罰された経験をお持ちの堀江氏なんだし。

でも、そういう記述にはならない。
そうでない受け取り方が可能な、というより、そうでない受け取り方が自然な記述をする。

口当たりの良い gentle な表現。
でも、やっぱりウソが混じっている。


「詐欺師たちが人を騙す信用の構造と、人々がカネを盲信する構造は、皮肉なことによく似ている」

この表現を額面どおり受け取り、なおかつおカネを欲する者は、信用を見分けようと志すでしょう。
でも、同時に、それは意味がないとも言っている。

「信用の本質の部分は、必ずしも問われていない」

では、問われているのはなにか。

「人はカネがなくなると、入ってくる情報の質が悪くなり、思考力が落ちるものだ。」

そんなことないと思うけど。
そういう傾向があるのは事実だけど、そうでない情報の集め方もある。
そして、おカネによって集まる情報には偏りがある。
そうした情報を集める経験を蓄積することによって成立した経験知が、

 「おカネの本質」 by 堀江貴文氏

おカネが欲しいヒトには有用です。ただし、「アルコール耐性」が強くないと潰れます。

賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ。
ただし、愚者の中にとびきりの「才能」を持つ者もいる。まちがいなく、います。


ここでいう「アルコール耐性」とは何か。
ウソをウソだと思わないでいられる「才能」です。
堀江氏は、心の底からウソだと思っていないと思います。
多くの人にとってはウソだから自分を誤魔化さなければならないけれど、堀江氏は本当にウソだと思っていないから、誤魔化すことがない。そのまま正直に行動ができる。

堀江氏の言う「情報弱者」は蔑称ではありません。
何の感情的わだかまりもなく、事実そうだからそう呼んでいるだけです。おそらく。
ベーシックインカムを提案したりするのはその証拠です。
カネのありなしは、彼にとってはどうでもいいこと。
つまり、カネにアイデンティティはない。

でも、大半の者は、多かれ少なかれ、カネにアイデンティティがある。
そのアイデンティティがカネを単なる情報収集ツールとして扱うことを妨げる。
そのアイデンティティこそがカネへの盲信に走る原因ですが、彼には何らかの理由でそれがない。
ある意味、障害者です。
社会的成功には適した「障害」の持ち主。

カネへのアイデンティティもまた「障害」ですけれど。
「定型」発達の「定型」と同じ意味の「障害」。
堀江氏が示唆しているのがまさに「定型(障害)」です。

他人の「障害」は、別種の「障害」を持っている人間からはよく見えるんですね。

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