愚慫空論

『ブライアンと仲間たち パーラメント・スクエアSW1』



ブライアン・ホウというイギリスの反戦運動家とその周辺を取り上げたドキュメンタリー映画。
自分でチョイスすることはない映画です。


ブライアンは湾岸戦争に反対を表明して、2001年から10年以上もイギリスの国会議事堂の前の広場(パーラメント・スクエア)に住み着いてしまった人。
イギリスの反戦運動の象徴となっていた人。
2011年にお亡くなりになっているようです。


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『子は親を救うために「心の病」になる』(完結編)

 前編はこちら (^o^)っ リンク
 中編はこちら (^o^)っ リンク
 後編はこちら (^o^)っ リンク


『完結編』とはしたものの、この文章を前・中・後編の続きとしてよいのかは、我ながらいささか疑問です (^_^;)

前・中・後編も、内容は「自分語り」です。
著作の紹介という体裁をとって、自説を語っているだけ、です。

ブログを続けているうちに、そういうスタイルに落着いてしまった。
ちょっと歪だなと思ってはいるのですが、とはいえ、変なことをしているわけでもないし...。

『空論』というタイトルにはお似合いくらいに開き直ってすらいますがww


今回は、体裁もへったくれもなく「自分語り」です。
『子は親を救うために「心の病」になる』を読んで、ぼくが思い連ねてきたことと付き合わせているうちに、浮かび上がってきたもの。

そうした経緯からすれば、前・中・後編の続きと言えなくはない。
この文章でもって、『子は親を救うために「心の病」になる』の読書から浮かび上がってきた一連の思索に区切りを付けようと思っているから、“完結”もウソではない。

が、ウソでなければ、本当かというのは微妙なところです。


あ、先に言っておきます。
長くなります。(^_^;)

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『子は親を救うために「心の病」になる』(後編)



中編はこちら(^o^)っ リンク


第四章  「親とのつながりを持てなかった子の不思議な訴え」

“不思議”とはどういうことかというと、社会的でないということです。

本書の基本命題は

 子は母親から「心理システム」を学ぶ

ですが、この命題が成立しないケースがある。


「心理システム」というのは〔社会〕へと適応し〔人間〕へと変化していく中核です。
〔ヒト〕は言語現象世界秩序を構築して〔人間〕になる。
「心理システム」は言語現象世界秩序をを構築するためのベース。

その“ベース”を学ぶことができないと、どうなってしまうのか。

言語現象世界秩序そのものは〔社会〕から学ぶことができます。
だから〔人間〕にはなる。
けれど、〔人間〕としての中核を欠いてしまった〔人間〕になってしまう。

自身の自身への存在感が希薄になる。


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『子は親を救うために「心の病」になる』(中編)



前編はこちら(^o^)っ リンク


心身は動的平衡です。

健全な身体は動的平衡をバランス良く維持できている。
とはいえ、動的平衡のバランスが崩れていくことはよくあります。
身体には、崩れそうになったバランスを維持しようとする機能が備わっている。
こうした機能が備わっているがゆえに、動的平衡だということができる。


バランスを崩した心身は、まず、過敏になるのだそうです。
バランスを崩す原因になっている入力に対して、過敏に反応する。
過敏に反応することで、崩れそうになったバランスを復元させようとするわけです。

ところが、それでも心身がバランスを取り戻すことができないことがあります。
そうなると、身体は仕方なく防御態勢へと入る。
過敏に反応していた入力に対して鈍感になっていく。

鈍感になったからといって入力がなくなったわけではありませんから、鈍感は欺瞞に過ぎません。
自己欺瞞です。
入力によるストレスで心身は痛んでいっているのに、それに気がつかないフリをする。

そしてついには麻痺してしまう。


〈学習〉も動的平衡です。



なんらかの理由で片方が〈学習〉を停止してしまうようなことがあったとする。
そうなってもメッセージのやりとりはあるので、入力はある。
けれど、〈学習〉停止のメッセージは、それを受ける心身の動的平衡バランスを崩していく入力となる。




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『子は親を救うために「心の病」になる』(前編)



当記事は、前記事からの続きです。

 ⇒ 『サピエンス全史』その18~サピエンスにおける瑕疵

サピエンスには持って生まれた「瑕疵」があります。
サピエンスだけではない、あらゆる生物には「瑕疵」がある。
各々の生物はそれぞれに「瑕疵」を抱えながら、その「瑕疵」とせめぎ合いながら生きていく。

生命にとって、「せめぎ合い」は本来、悦びそのものです。
もちろん、悦びはしあわせです。


身体的な持ち分からすれば食物連鎖ピラミッドの中ほどに位置するのが相応しいであろうサピエンスが、現代ではあらゆる連鎖の頂点に立つという事態になっています。

そのことによって「せめぎ合い」のあり方が変わってしまった。
変わって、どこかに「しわ寄せ」が行くようになった。

「しわ寄せ」にはマクロな方向とミクロな方向とがあります。
歴史はマクロな方向の「しわ寄せ」の推移。
ミクロな方向でいくと、本書のタイトルのような形になる。


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『サピエンス全史』その18~サピエンスにおける瑕疵

 


長らく中断してしまった『サピエンス全史』シリーズですが、ようやっと準備も整ったように思うので、再開したいと思います。

  『その17』はこちら (^o^)っ リンク

再開にあたっては、中断が長くなってしまったこともあり、また、内容的にも、これまでの内容を振り返っておさらいをしておいた方がいいと思いました。
ところがそうやって構想を練ると、飛ばしてしまっていたと思うところが浮き上がってきてしまう。

ということで、今回はおさらいの準備。


女性はさらに代償が大きかった。直立歩行するには胴回りを細める必要があったので、産道が狭まった――よりによって、赤ん坊の頭が次第に大きくなっているときに、女性は出産にあたって命の危険にさらされる羽目になった。赤ん坊の脳と頭がまだ比較的小さく柔軟な、早い段階で出産した女性のほうが、無事に生き長らえてさらに子供を産む率が高かった。その結果、自然選択によって早期の出産が優遇された。そして実際、他の動物と比べて人間は、生命の維持に必要なシステムの多くが未発達な、未熟の段階で生まれる。子馬は誕生後間もなく駆け回れる。子猫は生後数週間で母親の元を離れ、単独で食べ物を探しまわる。それに引き替え、ヒトの赤ん坊は自分では何もできず、何年にもわたって年長者に頼り、食物や保護、教育を与えてもらう必要がある。

この事実は、人類の傑出した社会的能力と独特な社会的問題の両方をもたらす大きな要因となった。自活できない子供を連れている母親が、子供と自分を養うだけの食べ物を一人で採集することはほぼ無理だった。子育ては、家族や周囲のヒトの手助けをたえず必要とした。人間が子供を育てることは、仲間が力を合わせなければならないのだ。したがって、進化は強い社会性を結べる者を優遇した。そのうえ、人間は未熟な状態で生まれてくるので、他のどんな動物もかなわないほど、教育し、社会生活に順応させることができる。ほとんどの哺乳類は、釉薬をかけた陶器が窯から出てくるように子宮から出てくるので、作り直そうとすれば傷ついたり壊れたりしてしまう。ところが人間は、溶融したガラスが炉から出てくるように子宮から出てくるので、驚くほど自由に曲げたり伸ばしたりして成形できる。だから今日、私たちは子供をキリスト教徒にも仏教徒にもできるし、資本主義者にも社会主義者にも仕立てられるし、戦争を好むようにも平和を愛するようにも育てられる。



『サピエンス全史』第一部第一章からの引用です。


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『獣の奏者』~外伝



恋愛の物語、です。

(前略)

葉裏を伝う水滴が表面張力によってその姿を保ち、もっとも美しい形で震えている状態に似て、物語にはもっとも美しい臨界点というのがあり、たとえ書きたいエピソードがあったとしても、、余計な一滴を加えれば、物語の形はあっけなく崩れ去ってしまうからです。

本編を書いていたとき、私の中で、エリンはもちろん、イアルもエサルも体温のある人として息づいていましたから、彼女らが経てきた人生はいつも心にありました。どんな恋をしてきたか、そんな道筋を辿っていったか、すべてが見ていました。

ですから、書こうと思えば、いくらでも書くことはできたのですが、本編の中でそれを書くことは「余分な一滴」に思えたのです。

とくに恋愛はエピソードとしては異常な吸引力を持っていますから、彼女らの恋を描けば、餅を焼いているときに、ある部分だけがぷう~と膨らむように、そこだけが突出して、『獣の奏者』という物語の姿を変えてしまう感じていたからです。



上掲の引用は、「人生の半ばを過ぎた人へ」と題された後書きの一部です。

上橋さんの言いたいことはよくわかります。
けれど、これを「人生の半ばを過ぎた人へ」と題したのは、ちょっと面白いと思います。

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「アメリカよ、決断せよ」 by 小林よしのり氏

小林よしのりさんの言説を、気まぐれにウオッチしています。

目を惹いたのが、これ。

 『アメリカよ、決断せよ!』


軍隊を持たない国家は、主権がないのだから、外交だって自由にできないのは当たり前のことである。
そもそも金正恩が日本なんか相手にしない。

韓国だって、北朝鮮問題では主権を持たない。
決定できるのは、アメリカ、中国、ロシアしかいない。



まさにその通り――だと思います。

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身体的価値と言語的価値 (完結編)

『未完結編』はこちら (^o^)っ リンク

貨幣は言語です。
4次元の実在感を持つ言語。

〔人間〕の言語のもっとも大きな特長は再帰構造(リカージョン)を持つことです。
貨幣も言語ですから、再帰構造を持つ。


経済学の用語でマネーストック(マネーサプライ)、マネタリーベース(ハイパワードマネー)というものがあります。

マネーストック、マネタリーベース、いずれにも専門的な解説がありますが、スルーします。

マネーストックとは、財のための貨幣(の集合)。
マネタリーベースとは、貨幣のための貨幣(の集合)。

財とは〔人間〕にとって有用な資源の集合です。
財がシニフィエであり、貨幣がシニフィアンです。
4次の言語としての貨幣です。

言語である貨幣が再帰構造を持つ。
すると、貨幣自身がシニフィエになります。

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身体的価値と言語的価値 (未完結編)



前編
中編
後編


生物である〔ヒト〕には感覚があります。

感覚は生存に関わる。
ゆえに、感覚入力は主観的な実在感を惹起します。
実在感に直結する1次の感覚は、触覚・味覚・嗅覚。

視覚・聴覚は、実在感においては、2次の感覚になります。
2次である証拠に、実在感のない視覚・聴覚がある。
他人事のようにものを視たり聴いたりしている経験は、誰しも持っているはずです。

言語は視覚と聴覚の複合感覚であり、3次。


貨幣は4次です。
〔人間〕は言語を駆使することで、他種より多様な経済活動を行います。

ありとあらゆる〔世界〕の極点を示すシニフィアンが「(創造)神」であるのと同様に、
ぼくたちが関わりを持ち得る〔社会〕の極点がシニフィアンが「自然」であるのと同様に、
ぼくたちのいのちをつなぐ〔経済〕の極点を示すシニフィアンが「貨幣」です。

「(創造)神」や「自然」が4次の感覚にならなかったのは、言語の領域を超越することがなかったから。
すなわち、他の物質と結びつくことがなかったから。

いえ。「神」については、〔人間〕は物質と結びつけようとします。
「偶像」です。
けれど、一神教崇拝は偶像崇拝を禁じます。
多神教は偶像崇拝を容認するが、多神教においては神は超越的な存在ではない。
たとえば仏教なら「ダルマ」です。

このあたりの考察は、別の機会に譲りましょう。

とにかく、貨幣においては、シニフィエが物質化することが許容された。
物質化が許容されたことで、新たな感覚が生まれた。


1次2次は身体的価値。
3次4次は、言語的価値。

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“愚樵”改め“愚慫”と名乗ることにしました。

「空論」は相変わらずです (^_^)

      

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