愚慫空論

〈こころ〉と〈からだ〉



J・S・Bachの平均律クラヴィーア曲集第一巻です。
なんとなく、この文章のBGM(?)としてふさわしいような気がします。


〔ヒト〕は成長して〔人間〕になります。

子どもは自らが暮らす環境をマーケティングし、自らをイノベーションして〔ヒト〕から〔人間〕へと成長していく。



孔子とドラッカー。
両者に共通の目線は、「己を知る」ということです。
環境との相互作用のなかでつねに変化し続けている主題。
動的平衡を保つ自己を感覚する主体。

「マーケティング」とは、そうした動的平衡を理知的に認識しようとする営為のこと。
社会で何が求められ、社会の中で自分たちは何ができのるかを知る行為。
「イノベーション」とは、マーケティングで把握した認識に基づいて自己を社会に適応させていく行為。

孔子とドラッカーにもうひとつ共通するのは、自己認識の「鏡」が〔社会〕だという点です。
社会という鏡を通じて自己を知る。
そうして認識した自己は内面的なものとして捉えられます。
「精神」や「仁」といった言葉で表現されるようになる。

精神や仁や、あるいは魂といった言葉で表現されるなにものか。
それらをひっくるめて〈こころ〉と言いたいと思います。





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コーヒーの味

かなり更新が滞ってしまって、文章を書く感覚が鈍ってしまっているようです。
というわけで、ちょっとリハビリ的に文章を書いてみることにします。


ネタ元はライブドアニュースです。

『依存的なもの?ブラックコーヒーを本当に美味しいと思って飲んでいるのか』

なんとも素朴で、しかし奥深い疑問。
真っ黒で苦い液体。
子どもなら苦行としか感じないであろうあの味をなぜ我々は求めるのか。
子どもには「大人になればわかるよ」と言うが、なんでこんな味が好きなのか、大人もはっきりとは分からない。


確かにコーヒーの味の旨さを明確に言語化するのは難しい。
ということは、当ブログの課題としてはピッタリ (^_^)

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『きらめく拍手の音』





「コーダ」という言葉を初めて知りました。
CODA=Children of Deaf Adults.
耳が聞こえない両親から生まれた耳が聞こえる子ども。

この映画は、コーダが撮影したろう者の両親のドキュメンタリー。
と同時に、撮影者自身の「自分」を問うた作品。

好感を持ちました。
ぼくは、こうした問いかけが大好物です (^o^)



ただ、ぼくには見続けることが辛い映画ではあった。
感覚的に、辛かった。
辛抱が必要な映画でした。


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〈からだ〉とは どういうことか



〈からだ〉とは何か――ではありません。
〈からだ〉とは どういうことか――です。

「身体(からだ)が何か」のかという問いに対する答えは明確です。
身体は物質的存在だからです。

では〈からだ〉は、物質的存在ではないのか?
そうだとも、違うとも言えます。
微妙です。

物質的存在ではないと言い切るなら、これまた問いは「〈からだ〉とは何か?」でよい。
物質的存在でありながら、端的に答えることが難しいもの。
〈からだ〉というのは、現象です。
観察可能な現象。

観察が可能ならば記述は可能。
だけど、その記述はどこまでいっても精確なものにはなりえない。
記述はあくまで虚構です。


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Author:愚慫
“愚樵”改め“愚慫”と名乗ることにしました。

「空論」は相変わらずです (^_^)

      

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