愚慫空論

女性原理と差異共振

手抜きで誠に申し訳ないのですが、アキラさんの『光るナス』での応答がわれながらよいものになったと思ったので、紹介させてもらいます。

まずは『光るナス』のエントリー

  『空想(妄想)による満足、はたまた渇望 前編』
  
『空想(妄想)による満足、はたまた渇望 後編』

をご覧になっていただいて、つぎに後編のコメント欄をご覧になってください。

女性原理と差異共振についての核心部分だけ、ここに引用させてもらいますが

○まるにゃーさんへ

>。。。。でも、まだよくない!わからない!
と言い張ってしまう、んです。ね~(^^)

ふふふ。そうでしょうとも (^_^)
どこまでいってもわからない、と。

それにしても不思議ですね。スゴイですね。女性は。わからないのに「受け入れる」んだから。「受け入れる」ことのリスクは、女性にとってはオトコよりずっと大きなことのはずなのに。
(今時の若い子たちは、このリスクに無頓着だとも聞きますが...(-∩-;))

逆にオトコは、わかったから「受け入れた」と考えるんです。論理的でしょう?

でもでも、そうじゃないんですよね。「受け入れる」ことも「過程」なんだから。「過程」ということは、継続する、継続させるということなんだから。「女性的な好き」とは、この「継続」へのエネルギー。リスクを越えていくエネルギーなんですよね。
(だから逆に、「女性的な嫌い」はエネルギーの消失を意味します。)

わからないもの(絶対的な差異)を受け入れる(信じる)エネルギー。「差異共振」とは、このエネルギーが励起している状態だと思うのですよ、アキラさん。(^_^)

で、この「エネルギー励起」はほとんどイコール「生きている」ということなのではないか、と。一般的な傾向として女性の方が素直な「エネルギー励起」を起こすのは、生物学的に「女が基本、男は女の変形」だと言われることと関係がありそうな気がしています。

エントリーを最初から読んで頂かないと意味不明だと思います。

なお追記もありますので、よろしければ、そちらもどうぞ。例によって愚樵ワールド全開ですが(笑)

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民主党 ~ いきなり公約反故

民主党を支持するたった2つの理由のうち、ひとつがいきなり反故になったようです。

大手メディアが報じない「メディア改革」

それが

『新聞が書かない民主党の「公約破り」』(THE JOURNAL 山口一臣のダメだめ編集長日記」

権力が腐敗するのは致し方ないのかもしれませんが、新政権の発足とともに腐敗が始まるとは...

1-6民主党 記者クラブ開放の公約を反故に 神保哲生 x 上杉隆

《物》の原理は専有、《情報》の原理は共有

前提1:【私】が存在する。【私】以外の【他者】が存在する。


【私】は【他者】を、【私】に備わった〔感覚〕を通じて捉える。
【私】の〔感覚〕によって捉えられている【他者】の状態を《物》と呼ぶ。

【私】は《物》を〔意識〕によって捉え直す。
〔意識〕によって捉えられた【他者】の状態を《情報》と呼ぶ。


前提2:【私】は〔人間〕である。


【他者】のなかで、【私】と同じ〔人間〕であるとの《情報》が付与されている【他者】を【他人】と呼ぶ。

【私】は【他人】と《情報》を共有することで〔人間〕となり、共同体や社会を営む。

→《情報》の原理は共有である。
 共有物である《情報》を生み出す〔意識〕は、同一性を志向する。

《物》は、【他者】が共有態様である《情報》となる以前の、【私】の〔感覚〕のみによって捉えられている状態の、【私】のよる【他者】の専有態様である。

→《物》の原理は専有。
 専有物である《物》を生み出す〔感覚〕は、差異性を志向する。

やっぱり小選挙区制はよくない

保坂展人さんが落選してしまいましたね。方々で残念という意見が述べられていますが、私も同感です。

小選挙区制の最大の長所は政権交代が起こりやすいということで、今回の選挙はまさしくその「長所」が遺憾なく発揮されたわけですが(前回の郵政選挙も同じ)、欠点の多い制度だとも言われています。特に、死票が多く出て国民の意志が正確に反映されないということはよく言われますが、が、もちろんそれだけではありません。

私にはむしろ、保坂さんの落選に象徴される欠点の方が大きいような気がします。すなわち、議員より政党が優位に立ってしまうという点。保坂さんは、選挙直前に馴染みの薄い選挙区へ鞍替えすることになって、石原伸晃氏と同じ選挙区で戦うことになった。結果、落選という憂き目にあった。選挙区の鞍替えは、政党の都合です。

保坂氏と石原氏を引き比べて、どちらがどうとは、ここでは言いますまい。ただ、保坂氏は、国会という場において、もっとも国会議員として相応しい活動をした議員のひとりだった、ということは言っておきたいと思います。その活動を高く評価している人は、私を含め、日本全国に数多くいるはずです。にもかかわらず、小選挙区では勝ち上がれなかった。おまけに社民党という弱小政党所属でしたから、比例区でも復活当選も出来なかった。非常に残念です。

今回の選挙は、一部で革命的と評されるほど、画期的な結果をもたらした選挙です。前回の郵政選挙はメディアの報道に乗せられての自民党大勝でしたが、今回は、メディア報道と逆の方向での民主党の大勝。それだけでも歴史的とするに値するでしょうが、それでも当選した議員の中身をみてみると、前回と同じく「チルドレン」の大量生産です。前回は小泉チルドレンで、今回は小沢チルドレン。私は小泉よりも小沢の方をずっと高く評価はしますけれども、それでも「チルドレン」は「チルドレン」。議員として大きな功績のある保坂さんとは比較にはなりません。

「チルドレン」が大量生産されたのは、国民が支持したとはいえ、やはり政党の都合です。確かに、自公の大物議員といわれる者たちが、「チルドレン」に“刺されて”落選という報道は爽快感のあるものではありました。しかし、その爽快感を追い求めるのなら、小泉劇場と言われた前回と何ら替わりはしません。

日本の衆議院の選挙制度は、小選挙区比例代表並立制。小選挙区制は政党優位と書きましたが、その点では比例代表制も同じ。ということは、現在の日本の選挙制度は、いずれも政党優位の制度ということになります。が、果たしてそれでよいものなのでしょうか? 私には甚だ疑問です。

政党が優位に立つ選挙制度では、議員は、議員である以前に政党人であることになってしまいます。イギリスのように、候補者など関係ない、選挙では政党の名前だけあればよい、というのなら話は違ってきますが、日本の選挙はそうではない。自民や民主という看板を掲げて選挙を戦うにせよ、やはり中心は候補者個人です。有権者の意識の方は、前回も今回も候補者よりも政党という方向へ傾いていたようですが、候補者の方は自分は政党のパーツに過ぎないなどとは思っていないでしょう。自分の名前で戦うのだから、当然です。

政党のパーツとしてのみの仕事しかしてこなかった議員は、有権者の支持政党の動向で当選したり落選したりすればよいでしょう。ですが、自らの力量で議員としての仕事をこなしてきた人も同列に扱われてしまうのは、国民としては大変な損失です。こうした損失は、有権者の意志の反映といった量的な問題ではなく、質的な問題です。

質の問題は、数では絶対に補うことは出来ません。議会制民主主義ではよく「政治は数」だなどといわれ、実際その通りですが、それが国民の希望だとは私には思えません。国民が期待しているのは、質の高い政治、質の高い国会と議員であって、単に有権者の意志を忠実に反映するだけの国会ではないはずです。

<参考> 『新しい選挙制度の提案』

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Author:愚慫
“愚樵”改め“愚慫”と名乗ることにしました。

「空論」は相変わらずです (^_^)

      

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