愚慫空論

引越しします

ブログで「引越しします」とすると、普通はブログを引越しすることになるのでしょうけど、そうではなくて、ここでいう引越しはリアルの方。私、現在は紀州の田舎暮らしなわけなのですけれど、故あって、甲州方面へ移転することになってしまいました。
(もちろん、樵は樵のままです。今更それ以外の職業をするつもりもないし、また出来もしない。)

そんなわけで、このところリアルの方が忙しくなってしまっています。引越しに伴う作業――家財道具の整理移転、諸々の手続き等――は、まだ少し先で、本格化するのはこれからなのですが、今、忙しいのは、ここ紀州で出来上がった人間関係の清算ではなくて、再構築でもなくて――距離が出来てしまうことで必然的に関係が変容してしまう前に、これまでの関係を再確認する行為――その多くが飲酒を伴っての会食という形式でもってなされて、その会食に参加する時間もさることながら、多量の飲酒から受けてしまうダメージから回復するのに――有り体に言えば、飲み過ぎて寝ているのに――忙しいといったような状態になってしまっています。

で、このエントリーで何が言いたいのかといいますと、ひとつはこれから先しばらく引越し先に落ち着くまで更新が滞りがちになりますというお知らせなのですが、主眼は、現在のいわば「お別れモード」といった状態のなかで感じること。「自在感」とでも表現すべきもの。

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科学と民主主義

ブログを運営して世の中で起こる様々な現象に自分の意見を述べていたりしますと、論理vs共感、もしくは理性vs感性といった対立構図の中に落ち込んでいってしまうことがよくあります。

理性も感性もともに知性の一部であり、本来は対立するものではないはずなのですけれども、それでも対立する要素は間違いなくなります。よく“理性的に話をしよう”などと言ったりしますが、これはものごとを筋道立てて話をするという意味と、感情を抑えて話をするという意味との双方の意味を含みます。感性=感情ではもちろんないのですが、しかし同じ「感」という文字を使うことから見てもわかるとおり、感性と感情は近い位置にある。理性は感情を抑制するものと捉えられていますから、感性と理性とは、そもそもは対立関係にあるものではないといいながら、往々にして対立の構図に堕ちてしまうのですね。

理性と感性が対立するものだと線引きをされたとき、ご存知の方も多いと思いますが、私は断固として共感・感性の側に立ちます。もちろん、論理・理性を軽んじるというわけではないのですが、どちらかと言われれば、どちらも軽重とつけがたいという選択肢まで含めて、感性の側に立ちます。

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科学についての対話

当エントリーは、文字通り「対話」です。主役は逝きし世の面影さんとLooperさん(の予定)。

対話が目的ですから、主文はエントリーではない。コメント欄が主文になります。

当エントリーは、『「文脈」と卑怯・人格攻撃のフレーム』での面影さんとLooperさんの対話から派生したもので、エントリー後段は、その対話、つまり『「文脈」と卑怯・人格攻撃のフレーム』でのコメントをコピペしただけのもの。

また、この対話はどなたも参加自由です。主役の予定はおふたりですが、あくまで予定で、予定は未定です。

なお、私は当面は対話に参戦はしない、これも予定。私は立場としては面影さんに近いのですが、ブログ運営者という立場もあって、2対1のような構図は避けたいのが理由です。賑わってきたら、参加させてもらうかも。

では、「続き」を。

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卑劣な法務省~カルデロン一家への対応

強制収容の期限が明日に迫ったカルデロン一家ですが。

この問題について報道したTBSのニュース動画を紹介します。
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4077686.html


森法務大臣は、カルデロン一家について、一家3人での在留を認めないという立場は崩していません。その上でカルデロン夫妻について、

「もしのり子さんだけが在留した場合、本来は強制送還された者には5年間認められない再入国を、両親については“柔軟な対応もあり得る”との考えを示した」

なんなのでしょう? この卑劣な譲歩の仕方は? この対応で、法務省が守るべきものの優先順位が明確に見えてきます。法務省が守るべきはみずからの無謬性に過ぎない。

「過去、我々はカクガクシカジカの判断を下した。それは覆せない。」

そこを守るためには、未来については譲歩する。だだそれだけのことではないのでしょうか?

カルデロン一家は、こんな譲歩に乗ってはいけないと私は考えます。守るべきは、家族。もし、どうしても日本国が家族を分断するというのなら、家族揃って強制収容され、家族揃って出国すべき。法務省の卑劣な譲歩に乗って、優先順位を誤ってはいけません。

その優先順位はしかし、法によっても定められてもいる。紹介した動画から。



少女1人を日本に残すかどうかを迫る入国管理局の対応に対し、国際法の専門家からは「国際的なルールに沿った対応をすべきだ」と指摘も出ています。(神奈川大学 阿部浩己 教授)

阿部教授が指摘するのは、国連の自由権規約委員会がオーストラリア政府に対して判断を下したケースです。

オーストラリア政府は不法滞在のインドネシア人家族に対し、13歳の息子だけが残るか、両親と3人で国外退去するかを迫ったといいます。

のり子さん一家の状況によく似たケースですが、委員会は「長期にわたって定着してきた家族生活を破壊するには、出入国管理法違反だけでなくそれ以上の理由が必要だ」として、家族生活の保護を定めた規約に違反すると判断しました。

「非正規滞在であったとしても、家族生活が長期化すれば、家族生活は保護しなくてはならないという考え方に立っています。『自由権規約』は、国際社会の中で守られるべき人権のルールを定めた最も大切な条約のひとつ。この条約には日本も入っている



国際法をも含めた法体系において最優先はやはり自国の憲法ですが、国内法よりも国際条約の法が優先されるべき説もあり、そうでなくとも対等に扱われるべき。裁判所の判断は夫妻が国内法に違反していることは認めたが、そのことは当然、その処置が国内法に従って為されることを予定しており、その国内法において特別在留許可は違法でも何でもない。法務省の裁量に委ねられています。

そしてその法務省が従うべき判断基準は、日本国が批准している条約に示されている。

最後にもうひとつ、法務省が従うべき基準を示しておきましょうか。

日本国憲法第98条第2項
「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守する事を必要とする。 」




なお、法務省は、国連子どもの権利条約に独自の解釈を施しているようです。その点に関しては、

『カルデロン一家についてアムネスティ・インターナショナルの声明 (日本政府による子どもの権利条約の「解釈宣言」の撤回を求めます)』(村野瀬玲奈の秘書課広報室)

をご覧ください。

何のため、誰のための利権なのか? ~小沢一郎の場合

当エントリーは私の恣意的解釈に基づくものです...と「予防線」を張っておいて、と(笑)

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小沢代表へ企業献金?

民主党小沢代表の公設第一秘書が逮捕。ネットの住民としては、予想された範囲を超えないし、タイミングもドンピシャといった感じで、どうにも政権側の「仕掛け」といった印象が拭えないのですが。

この印象はあくまで予断をもった印象でしかありません。またネット上には、こうした印象を補完してくれる情報はたくさん転がっています。それらを取り上げて、自身の印象を強調するのもありなんでしょうが、それは他の人にお任せするとして、報道を見ながら浮かんだ素人の疑問を提示させてもらいます。

今朝のNHKの報道を見ていますと、小沢代表への献金は西松建設からの企業献金だとなっていました。その構図は

西松建設 → 社員に給与・ボーナスを上乗せして支払い 

→ 社員と家族から西松建設OBが代表を務める政治団体へ献金

→ これら政治団体から「○×研究会」やらを経て小沢代表の「陸山会」へ

となっていました。そして、この構図全体を「企業献金」としたのですね。

えっ? と思いました。社員に給与・ボーナスとして支払われた? たとえ上乗せ分があったとしても、所得税が適正に処理され支払われていれば、法的にはどこをどう見ても企業献金とは言えないはずなのですが? これは恣意的な報道ではないのでしょうか?

西松建設と小沢代表・陸山会とがただならぬ関係にあるのはおそらく事実でしょうね。あくまで素人の想像ですが、それでも常識と考えていいと思います。けれど、それは小沢氏側が主張するように「適切」ではなかったのでしょうか? 政治家がいう「適切」は、たいてい後から適切でないことが判明するものですけれど、恣意的であることを疑わせる報道に接してしまうと、どうにも当初の「印象」が補完されてしまうのを防ぎえない。それが中立公正なはずの報道機関によって報じられたものであったなら、尚更です。

追記:上で記した「構図」について、NHKのニュース映像からキャプチャしました。

企業献金

「文脈」と卑怯・人格攻撃のフレーム

このテーマは、現在、当ブログで議論になっているテーマと少なからず関係しています。

どことどう関係しているかは、敢えて示しません。正直、実りの少ない議論になってしまっていると思っていますので、興味をお持ちでない方にまで紹介する意義を認められないのです。残念なことですが。

その議論の場では、卑怯であるとか人格攻撃とかいったことが話題に上っています。どういった場合が卑怯でどういった場合が人格攻撃になるのか? 私、愚樵というブログ人格の文脈を示す一環として、私の主観を披露させていただきたいと思います。

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Author:愚慫
“愚樵”改め“愚慫”と名乗ることにしました。

「空論」は相変わらずです (^_^)

      

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