愚慫空論

内山節と内田樹

最初のおふたりの「絵」を掲げておきましょう。

内山節 内田樹

左が内山氏。右が内田氏。おふたりとも、私にとって注目に値する人。本ブログでは、今年に入って内山氏は立て続けに取り上げているが、以前は内田氏についても好意的に取り上げていたし、その「好意」は今も変わりはありません。

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国籍とは何だ!? ~カルデロン一家強制退去へ

強制退去処分を受け、一時滞在の仮放免期限を迎えた日本生まれのフィリピン人カルデロン・のり子さん(13)=埼玉県蕨市立第一中学一年=の両親について、東京入国管理局は十三日、在留特別許可を認めない方針を伝えた。東京入管は同日、出頭した父アランさん(36)と母サラさん(38)夫妻に二十七日までに帰国日を決めるよう通知した。
(東京新聞より) 
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009021302000211.html

今日がその27日。昼の報道によると、東京入国管理局は、3月9日までに退去日を決定しない場合、国外退去へ向けて一家3人を強制収容すると通知したという。

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『怯えの時代』

怯えの時代 (新潮選書)怯えの時代 (新潮選書)
内山 節

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つい今し方、内山節氏の最新の著作『怯えの時代』が届きました。。

まだ、プロローグの10ページほど目を通しただけ。

「怯えの時代」のタイトルが意味するところは、「不安どころではない未曾有の時代」、という意味だそうです。

この本は、ギョッとするような出だしで始まります。内山氏の奥さんが亡くなったと言う。そして、受け入れるしかない現実を受け止めたときの心境を「自由になった」と表現しています。それは現代人と共通の「自由」である、と。

次に内山氏は、話の矛先を昨年世間を騒がせた秋葉原の事件を振ります。事件を起こした青年も自由だった。派遣社員であったし収入は少なかっただろうけども、その現実を受け入れれば自由はあったはず。「うんざりするような自由」が。けれども、彼は「うんざりした自由」のなかで生きながら、「自在に」生きた経験がないようだ――と記しています。

「自由」と「自在」。似たような言葉ですが、ニュアンスは違います。その違いをどう表現すればよいかうまく言葉が出てきませんが、「自由」と「自在」は似て非なるものであることは言うまでもないでしょう。完全な「自由」は「自在」ではない。完全な「自由」とは「孤独」に他ならず切り離されたイメージがありますが、「自在」はどこか繋がっている。繋がっていることを容認しています。

私たちは近代化した社会のなかで「自由」は手にしてきました。けれども、「自在」ということで考えるとどうか? 特に労働の場面において。近代的な合理化とは、反面ひとりひとりの労働者の「自在」の要素を削っていくことであったとも言えるでしょう。その現実を受け入れることと引き替えに、私たちは多くの「自由」を手にしました。

しかしこれから先の時代、果たして今以上の「自由」を手に入れることが出来るでしょうか? 実は私たちは、身に余る以上の「自由」をすでに手にしてしまっていて、それがゆえに社会の方が持たなくなった。そういう時代に突入してしまったのではないでしょうか? 手にしたはずの「自由」が削られていく一方で、「自在」の方はすでに大部分が失われてしまっています。

だとすれば、不安どころでない、「怯えの時代」という表現は実に的確なのかもしれません。

これから続きを読み進めていきます。

【再掲載】モノに2つの価格【+α】

当エントリーは、3年ほど前の記事(はてなにアップ)の再掲載+αです。

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【自生的秩序】番外編~受精卵取り違え事件

昨日から報道されている香川県での受精卵取り違え疑惑について。今日報道された続報のなかに驚かされるものがあったので触れておきます。

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プラトニック・シナジー理論についての雑感

最近、プラトニック・シナジー理論なるものに関心を寄せています。

「プラトニック・シナジー理論(旧不連続的差異論)のページ」
「Japonesian Trans-Apocalypse:Trans-Modern New Platonic Trans-Creation」
「『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu」

まだ関心を寄せているという段階でよく理解できていないのですが、私の感覚的な体系と非常に近いものがあるように感じています。

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メロドラマ作家~水村早苗とマルクス

昨日の『お玉おばさんでもわかる 政治のお話』で、マルクスが取り上げられていました。

取り上げると言ってもそれはお玉さんらしく、
別にお玉共産党員じゃないのに、そんな記事書いたら誤解されちゃう・・なんて、思ってた。それにね、よくわかりもしないのに書いちゃうことで、党員の方々に怒られないかなあなんてね・・ちょっと怖かったりして・・気軽に出せないテーマというか、そんな感じがしててね・・すごい偏見・・・・でも、実際みんなもあまり書かないもんなあ・・
つまり、気軽にマルクスを語ってみない? お玉さん一流の問題提起でしょうね。とはいうものの、やっぱりマルクスは気軽にと言うわけにはなかなかいかない。内容はウルトラ・ヘビーですからね。資本主義が躓いてしまった時代の流れもあって、そうした試みはさまざまに行われてはいるようですけれども。

当エントリーは、お玉さんの誘いに乗ったわけではないのですが、素人の気軽なマルクス論――ではなくて、マルクス観です。いや、マルクス“感”か(笑) もとより私にはマルクスを噛み砕くだけの咀嚼力はありませんから、まともにマルクスを論じたものではない。ただ、私には素人ながらもマルクスを良しと「嗅覚」みたいなものがあって、その「嗅覚」を少し言葉に載せてみようと思った。まあ、要するに“愚樵空論”というわけです(笑)

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【自生的秩序】のイメージ(2)~『めぞん一刻』

めぞん一刻 (1) (小学館文庫)めぞん一刻 (1)
高橋 留美子

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絵に描いたように安直な【自生的秩序】のイメージ、その2。今回は、文字通り絵に描かれたものを 。

高橋由美子の『めぞん一刻』。私にとって、このコミックは“青春”だったと、言ってよいかもしれません(少々恥ずかしいですけど)。今でも折に触れて読み返しては、昔の懐かしい思いに浸ったりしていますが、私と同じくらいの世代の者で、同じような思いを抱いている人は決して少なくないだろうと想像します。それほどに一世を風靡したコミックでした。

ただ、今読むと昔と少々違った感慨があるのも間違いなくて、かつては満載されていたギャグに大笑いしたものですが、ギャグはもう何度も読んで知り尽くしてしまっていますし、その面白さが色褪せてしまうのは仕方がない。反面、キャラクターたちが紡ぎ出す物語には、変わらぬ面白さを再確認します。心に響くものは、いつまでたっても変わらないのですね。

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個人通貨

いま、政府紙幣が話題になっています。

政府紙幣とは、読んで字のごとく政府(=国家)のおカネ。紙幣とはおカネのなかでも札のことを言いますから、政府が刷って発行するお札のことになります。現行の通貨制度では、紙幣を発行するのは日本銀行、紙幣の補助通貨としての硬貨を発行するのが政府ということになっていまして、政府紙幣を政府通貨とすると、もうすでに政府通貨は発行されています。政府通貨が発行されているということはつまり、日銀だけでなく政府にも通貨発行権が認められているということで、そのことが政府紙幣が話題になる根拠になっています。政府が硬貨だけでなく紙幣も発行してしまえ、そしてその紙幣を財源に経済危機を乗り越えるための財政出動を行え。これが政府紙幣についての議論の出発点になっているようです。

この議論には、ハイパーインフレを引き起こすからダメだとか、いや、デフレギャップが存在するから大丈夫だとか、また実質的には国債の日銀引き受けと同じだとか、いろいろ言われていますが、わが空論ではそちらの方面の話には参加しません。バカな樵がそんな話のすみっこに加わっても仕方ありませんから。バカはバカらしく、空論をぶつのがお似合いでしょう(笑)

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“あるがまま”を観ること

あるがまま。“あるがまま”を観ること。

私は『知的フレームを壊せ!』のエントリーで、「知的フレーム」を壊せば”あるがまま”が見えてくる...といったようなことを書きました。けど、“あるがまま”って何なのでしょう? よく言われるし、なんとなくわかるような、けど考えてみるとわからないような、そんな言葉。

けれど、私にはかなりはっきりとしたイメージがあります。

それは、これこれこうだ! と定義することは難しいですし、またそのイメージもまだまだ発展途上のもの。ですので、決定版とはいきませんが、それでも、今の私が思うところの“あるがまま”を観るについて、書いてみます。

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愚慫

Author:愚慫
“愚樵”改め“愚慫”と名乗ることにしました。

「空論」は相変わらずです (^_^)

      

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