愚慫空論

ロックはラーメンだ!?

自生的秩序の話を続けるつもりだったのですけど、ちょっと一休みして、音楽の話をば。

私は樵のクセして生意気にもクラシック音楽を嗜んだりする変わり者なのは、ご存知の方はご存知でしょう。けれど最近、ロック道を邁進するなめぴょん師匠のお導きで、ちょっとずつだけれどもロックも視野に入るようになってきた。そんなわけで面白く見たのが、「BS世界のドキュメンタリー」のなかの「みんなロックで大人になった」7回シリーズ。

第1回 ロックの誕生
第2回 アート・ロック
第3回 パンク・ロック
第4回 ヘビーメタル
第5回 スタジアム・ロック
第6回 オルタナティブ・ロック
第7回 インディー・ロック

ここで示されたロックのジャンルわけは、すでにロックを識っている者にとってはあまり意味がないだろうし、また逆に興味がないものにとっても同じでしょう。ただ私のような初心者で、またロックをよく識らないものにとってはなかなか有効な道しるべになります。こうした番組でロックを識ることはできなくても知ることは出来るし、【知る】ことができれば【識る】ことへと至る回路も開けてくる。今回は、ロックを題材にそのあたりのことを書いてみたいと思うのです。

続きを読む »

自生的秩序~大切なのは現在

またまた自生的秩序の話です。 ここ数回、自生的秩序についていろいろと書いてきました。話題になっているカルデロン家の国外退去問題を取っかかりに、法との関係。伝統や文化を育む土壌としての自生的秩序。それから自然との関わり。今回は、自生的秩序と各々の個人のアイデンティティとの関係について書いてみたいと思います。

続きを読む »

自生的秩序~自然と人間

今日は、ごく短く。

自生的秩序という話を突き詰めていけば、それは最終的には「自然と人間」という話に行き着くことは、論理的な追及はさておくにしても、感覚的にはごく自然に理解出来ると思います。

泡瀬

これは、沖縄・泡瀬の様子だそうです。泡瀬で何事が起こっているかは私は触れません。詳しくはTBもいただいているリーフチェッカーさめさんの一連の記事をご覧ください

今回はあくまで感覚的な話です。背景の風景の美しさ、手前の行われている埋め立て工事の醜さ。見事な(!)対比です。この対比は画像を通事でもわかるくらいですから、現地に赴いて実際をみれば、その対比は痛い程のものでしょう。

私は、この感覚を忘れてはならないと強く思います。この感覚は、昔から大切なものだとされている「真善美」への感覚と強く結びつくものです。いくら立派な理念であっても「真善美」を排除してしまったものに価値はありません。

泡瀬の埋め立て工事を進めようとして人々にも、それなりに理念はあるのかもしれません。いえ、理念も何も、食わなければ仕事がなければ、といった切実な「利」の問題もあるでしょう。が、しかし、派遣村を批判する論理でいくならば、そうした「利」も所詮は自己責任です。かけがえのない自然を破壊して取り返しの付かないことをしてまで「利」を追求する権利はないともいうことができます。でも、そうした批判は聞こえてこない。自己責任の根本にあるのは、「人間のみの利」だからです。

けれども、そうした人間の傲慢さが世の中をおかしくしているのは、誰も感じ始めているはずです。強く感じるか、うすうす感じているのか、程度の差はそれぞれあるでしょうか、「自然なんて関係ないよ」といった態度には、もはや違和感を感じずにはいられないはず。大切なのは、その違和感です。その違和感を探っていけば、私たちの社会のルールが人間の傲慢さを基準に組み立てられていることに気がつくはずです。

泡瀬の生き物たちが滅ぼされていくことは、巡り巡って、いずれ私たち自身の身に降りかかってくることになるでしょう。

続・カルデロン家について~自生的秩序とは

ただいまコメント欄が賑わっている4つ前のエントリー『法と秩序~カルデロン家について』。私は最初の方のコメントにいくつか返答をしましたが、その後、放置してしまっています。で、その返答にコメントでお返しすることも考えましたが、時間も空いたことですし、新たなエントリーをあげてその回答としたいと思います。

なかでも「自生的秩序」に焦点を絞ります。私は先のエントリーで、「法の目的は自生的秩序を守ることにある」といったようなことを書きましたが、もちろん、これは私の独自の見解です。その見解に基づいて「違法入国にも時効を設けるべき」等の主張をしましたけれども、これは順序が逆さまだったかもしれません。なぜ法が自生的秩序を守るべきなのか、それ以前に自生的秩序とは何か、ということについて書いてみたいと思います。

続きを読む »

オバマの演説には失望した

もちろん、失望したのはバラク・オバマ新大統領の就任演説のことです。この演説は、非常に立派なものだとして大変に評判がよろしい。立派なものだ、名演説の見本として教科書に載せるべきだ――そういった意見に反対だと言うわけではありません。アメリカの大統領の演説として欠点があって、それを論おうというものではありません。歴史的といってよいのでしょう。

が、アメリカ合衆国大統領として立派であればあるほど、そしてそれがアメリカ国民に支持されると言うことは、それは実は従来のアメリカという国を支えている精神の枠内に留まっているということになるのではありますまいか? たかだか200年あまりの歴史しかないアメリカの精神とやらも、それより遙か長い歴史を有する日本という国に立脚する者から見ると物足りないものでしかありません。オバマの唱えた“CHANGE!”は、建国以来の苦境に立つアメリカがその足元を見つめ直すものなのかと、期待していていました。しかし、その期待が満たされることはなかった。裏切られたとまでは言いませんが、演説が立派であればあるほど、満たされなかったものの存在が大きく浮き上がってくる――そんな心境です。

続きを読む »

仕事の報酬(2)

脱線した挙げ句、仕切り直しすることになった『仕事の報酬(2)』の続きです。といって、厳密に(1)の続きになるかどうかは私自身も大いに疑問のあるところ(笑)。

今回は「仕事の報酬」について考える題材を、有名な内田樹氏の文章からお借りすることにします。

『読者と購読者』(内田樹の研究室)

が、そのまえに「仕事」と報酬の関係を整理しておくことにします。

続きを読む »

天気予報を流せよ、NHK!

以前にも一度書いたことがあるのだけども。

朝、出かける前にNHKで天気予報をチェックするのが私のいつもの習慣。けど、今日はダメ。オバマ大統領のパレードの様子を放映している。

その重要性はわかります。私だって少なからぬ関心はある。彼の動向が世の中を大きく左右することも理解出来るし、歴史的な出来事であることも分かる。

でもね、それもこれも、日々の暮らしがあってのこと。人々の、日々の暮らしに支えられているから、歴史的な出来事も歴史的でいられる。

オバマの就任式やパレードの様子は報道すべきだ。しかし、“すべき”が全部になってはいけませんよ。“すべき”を支えている部分を無視して、“すべき”が成り立ち得る道理がない。

NHKの姿勢には、”すべき”至上主義(≒理性万能主義)が如実に表れているように思えてなりませんね。そして、それが世の中をおかしくしている根源なのだと私は思っています。

あ、ついでに言っとくと、当たりませんけどね、天気予報(笑)。だから本当は予報が流れるのはどっちでもいいんだけど、それとこれとは話は別。

法と秩序~カルデロン家について

もうご存知の方が多いでしょう。今、話題になっているカルデロン家とは、カルデロン・アラン・クルズさん(父)、サラさん(母)、のり子さん(ノリコさん/娘・中学校1年生)の一家のこと。この一家は、両親がフィリピンから来日、長年にわたって不法滞在の状態で日本で生活。その間にのり子さんが生まれて現在では学校にも通い、平穏な社会生活を営んでいたところへ、不法滞在を理由に国外退去を求められた。それに対して、カルデロン家とその支援者達が一家に在留許可を求めている――という問題です。

続きを読む »

教育

教育の「教」と「育」。【おのずから】と【みずから】。前回、コメントを流用したエントリーは、最後にこの4つの言葉を付け加えたところで終わりました。今回はそこにもう少し付け加えたいと思います。

続きを読む »

信仰 あるいは左翼批判

当エントリーは手抜きでして、前エントリー『「知的フレーム」を壊せ!」にいただいたコメントとその応答を再掲載しただけのもの。でも、それだけの価値があると思うので、新たにエントリーにしておきます。

続きを読む »

知的フレームを壊せ!

『光るナス』が面白い。

『光るナス』とはずっと交流があるから(一時、かなり長く中断しましたけど)、ここで紹介するのは今更なんだけど、とにかく面白い。

『コニュニケ外伝その1』
『コニュニケ外伝その2』
『コニュニケ外伝その3』
(IEで見るのがオススメ)

続きを読む »

『反貧困』の「溜め」

本日は前置きなし。いきなり本題に入ります。

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)反貧困―
「すべり台社会」からの脱出
湯浅 誠

商品詳細を見る
話題の「派遣村」村長を務めた湯浅誠氏の『反貧困』を読んでおられる方には、「溜め」という平易な概念はいまさらだと思いますが、一応整理しておきますと――

続きを読む »

蟲師

タイトルにまた「蟲」の字を登場させてしまいました。そして、今回もまたマンガの話。

といって、今回はマンガの話をダシにして、いろいろわけのわからないようなことを話しようというのではありません。ストレートに、マンガの紹介&感想を綴ってみようと思います。

蟲師 (1)  アフタヌーンKC (255)蟲師 (1)
(2000/11)
漆原 友紀

商品詳細を見る
『蟲師』。ご存知の方も多いでしょうが、訳のわからない、摩訶不思議な、恐ろしいような、懐かしいような、そして妙なリアリティを感じさせる、そんなマンガ。それとも幽玄的とでも言いいましょうか。

続きを読む »

仕事の報酬(1)

本日も仕事は休みだ~ ヾ(T▽T)ノ

繰り返し書きますが、私は日雇い労働者です。ですので、雇用主に1日労働力を提供して、報酬を受け取ります。その報酬とはもちろん賃金。労働力を貨幣に換算して受け取るのですね。

この構造は日雇いでなくても、月給をもらってボーナスももらえる普通のサラリーマンでも基本的には同じなんですが、違うのは、労働が一日という単位で細切れにされているということ。では、私の仕事は、一日単位でぶつ切りにして回るものなのか? となると、Yesと言えなくもないが、甚だ非効率でしょう。私と同等かそれ以上の技能を持った人間が日替わりで作業にあたるというようなことをしても、作業は進まなくはない。けれども、毎日毎日、新たに状況を把握し直して...、なんてことから始めていたら、作業能率など上がるわけがない。作業状況の把握を、雇用主ではなく労働者がしているからこそ、仕事も上手くはかどる。日毎の賃金は、作業状態の把握も含めてのものだろう、と言われるかもしれませんが、それならそもそも日雇いがおかしいだろう、ということになります。
(といって、私自身は日雇いでいいと思ってるのですが。労働は一日単位、というのは別の意味で良いところがあると思ってます。ま、これは本筋とは関係ないので触れませんが。)

続きを読む »

渡辺喜美は第二の小泉純一郎か

本日、2本目の記事を投稿。ああ、時間があるっていいな(泣)

当記事も、内容は前エントリーと同じく、メディア報道への疑惑。今、政局がらみの国会で“ヒーロー”扱いの渡辺喜美がターゲットです。

先にお断りしておきますが、当記事は不確定な根拠に基づくいい加減な憶測です。もしかしたらそんなこともあるかも? といった程度のもの。まあ、時間があるから書いてみるといった程度のものですので、読まれた方は、そのあたりを斟酌してください。

続きを読む »

農業ビジネスは危険

今日も朝からのブログ更新です。

朝からブログの更新ができるということは、自宅にいるということ、すなわち仕事に出かけていないということ。今日で10日になりますが、今年はまだ仕事にありつけていません(泣)。といって、それは勝手に長すぎる正月休みを取ったのと、お天気が原因なので、派遣切りに遭った方々のように差し迫っているわけではありませんが。

というわけで、朝のNHKニュースなどをのんびり眺めておりましたら、出てきたのが農業ビジネスの話。あっ、と思って慌ててブログを書き始めました。報道の仕方はいかにもよいニュースのような伝え方なのですが、実はとんでもないこと。よく見ていると、NHKはこういった所業をよくやります。特に日曜の朝に多いような気がする。まあ、これは気がするだけで、意識的にチェックしたことはないからはっきりとは言えません。

続きを読む »

故郷(ふるさと)はよみがえるか

 いまから五年ほど前の、ちょうど二十世紀が終わろうとする頃、群馬県の「新総合計画」である「二十一世紀プラン」の策定に加わっていたことがあった。「新総合計画」は、普通は五年に一度つくられる。ところが群馬県ではこのとき、百年計画をつくることにした。短い時間幅で将来を考えるのではなく、遠い未来を見据えながら考えてみよう、という発想である。
 といっても、百年後は、かすんでしまうほど先のことではない。おおよそ、いま生まれた子や孫が高齢者になる頃のこと、と考えればよい。
 面白かったのは、五年計画が百年計画に移行したとたん、基本的な発想が変わったことである。五年計画だとどうしても「つくる」計画になる。今日なら高度情報化社会をつくるとか、先端産業を育成する、高速交通網を整備する、環境や弱者にやさしい風土をつくる、といったことである。ところが百年計画になると、「つくる」ことのほとんどが意味を失ってしまった。なぜなら、百年後に情報がどのようなかたちで伝達されているのかも、主要な交通手段が何になっているのかも誰にもわからないからである。そればかりか、情報という概念や、移動という概念自体が変わってしまっているかもしれない。今日の先端産業など、百年後には本や映像でしかみられないものになっているだろう。現在の発想で何かをつくってみても、おそらく百年後には意味がなくなっている。このような議論をへて、「二十一世紀プラン」は、「つくる」計画から「残す」計画へと変わった。百年後の人々が破綻なく暮らしていけるようにするには、何を残しておかなければいけないかが計画の中心になったのである。

続きを読む »

労働の権利

ブログを更新しようと思うときに、いつもいつも戸惑いを感じてしまうのは、書き出しです。書きたい内容は定まっているのに、どんな具合ではじめたものかが上手く出てこなくて、キーボードに手を添えたままモニタと睨めっこ。そんなことがよくあります。気分が乗らないときなど、それだけで更新そのものを放り出してしまったり。上手く書き出せないから、後で書こう...。けれど、そのうちに書きたい内容を忘れてしまって、結局書かずに終わってしまう。私には、そんなことがたびたびあります。

続きを読む »

情報の価格

今日は少し理性的な話を(笑)。

昨年末から年明けにかけて、ブログ界隈で起こった出来事のなかで少し驚かされたのが、天木直人氏のブログ廃止&有料メルマガ移行。天木氏はブログ廃止はなんとか思いとどまったようで更新は続けられているが、有料メルマガも発行するということで、いわば2本立て体制になったということですね。

続きを読む »

戦争という仕事

戦争という仕事戦争という仕事
(2006/10)
内山 節

商品詳細を見る




今日は、本の紹介記事をあげたいと思います。内山節著『戦争という仕事』。

続きを読む »

蟲毒

犬夜叉

画像は本文とは直接関係ありませんが、これを見てわかる方は「蟲毒(コドク)」とはなにか、おそらくご存知でしょう。わからない方は→こちらをどうぞ。
(なお、画像のリンク先は全く内容とは関係ありません。画像をお借りしたので貼っておきました)。

当エントリーでは、妖怪といったものも登場します。妖怪とは何なのか? 何を指すのか? それは、こちら↓をご覧ください。

続きを読む »

知識

理性に叛旗を翻す(笑)、2009年冒頭のエントリーです。

〔知る〕ことと〔識る〕こと。「知」と「識」の文字は合わさって「知識」という言葉になります。現代では、「知識」は〔知る〕ことの基礎的なもの、〔知る〕側の言葉として捉えられがちですが、もともとの「知識」は違うのではないか? 〔知る〕と〔識る〕はどちらも人間の精神作用ですが、似て非なるもの。その区別がつかなくなって、〔知る〕の側に大きく傾いてしまったのが、“我思う、故に我あり”に端を発した理性万能主義の近代ではないのか? そして、近代的理性が〔識る〕ことを抑圧し、人が人として〔生きる〕ことへの意義を見失わせてしまった...のではないでしょうか? 

〔生きる〕ことの意義は、決して〔知る〕ことはできず〔識る〕しかないもののように私には感じられます。

続きを読む »

 | HOME | 

 
プロフィール

Author:愚慫
“愚樵”改め“愚慫”と名乗ることにしました。

「空論」は相変わらずです (^_^)

      

最近の記事+コメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

QRコード
QRコード