愚慫空論

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番変イ長調 作品110

生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい

この詩を目にするたび、歌を耳にするたび、私の脳内レコーダーが反応して automatic に再生を始めてしまう音楽がある。それがタイトルの音楽。俗にベートーヴェンの後期3大ピアノ・ソナタなどと呼ばれるもののなかの1つ。

この音楽は、他のベートーヴェン後期の曲と同じく、たいてい“深い精神性”だとかいうご大層な看板がぶら下げられているのが常である。その看板に難癖をつけるわけではないのだけれども、最近私は、この音楽ほど陳腐なものもないと思うようになってきた。陳腐の真髄を突き詰めた音楽。陳腐なものにつきものの夾雑物を丁寧に取り除き、じっくり熟成させたかごときの音楽。他のものに例えるなら、最上級の貴腐ワインあたりが適当かと思われるような音楽。
(高価な貴腐ワインなど、ビンボな私には無縁だけどね。私の勝手なイメージだけ)

森山直太朗の新曲も、同じく陳腐熟成路線。でも、まだシャトー・ディケムの域にまでは達していない。まあ、それは無理からぬことだけれども。しかし、十分賞味に値すると思う。

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年金は一元化してはいけない

太田農水相が辞任したとのニュース。

笑ってしまった。辞めるのは当然といえば当然だが、なぜにこのタイミングなのか? どうせもう間もなく新内閣が発足するというのにね。辞めて責任をとるったって、もうすぐ辞めることは確定しているのに、そんな責任の取り方に重みなどありはしない。嫌になって放り出したのは誰の目にも明らか。さすがは福田首相に選ばれた大臣だけのことはある。ゲラゲラゲラ。

それにしても、次の自民党内閣の農水相に誰がなるんだろ? とりあえずは町村官房長官が兼任となったわけだけど、次の自民党総裁が選ばれて新内閣発足までのつなぎでしかない。次は麻生新総理ということで確定らしいが、麻生さん、誰を選ぶ? なり手はあるのかね? 内閣人事を他人事のように考えてはいけないとは思っているけど、でも、自公連立政権下の内閣なんて、もはや完全に他人事。ババを引くのはだれか、野次馬根性でしかない。早く麻生内閣が発足して、次の農水相のお顔を拝見したい(笑)。

次のお顔が楽しみといえば、厚生労働大臣にも同様の興味がある。社会保険庁の犯罪が新たに発覚して、マスゾエ大臣、認めちゃったもんね。このポストも完全にババだ。次は誰が引くのか? マスゾエさん、留任かな? だったら少し見直すけど。

まあ、しかし、議員センセー憧れの的のはずの大臣ポストがババでしかないっていうこの事態こそが、自民党の終焉を雄弁に物語っているね。民主党をはじめ野党は、来るべき総選挙で、次の農水相はだれだ? 厚労働相はだれだ? って自民党を攻撃すればいい。民主党には長妻というりっぱな厚労働相候補がいるしね。農水大臣だって、筒井信隆って人はよく知らないけど、前が太田だからまるで問題なし。農家戸別所得補償の政策もアピールしやすいだろうし。

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上手な人・下手な人

過疎地に棲息している私には、生活に自動車が欠かせない。

自動車に乗らない日はまず、ない。仕事に出かけるのに車なしでは不可能だし、生活必需品を手に入れるのも難しい。車はたしかに便利。だけど、その便利さに依存している社会は危ういとも思う。思いながらも、その社会のなかに組み込まれてしまっている以上、他の選択肢をとることは難しい。

...おっと、今日は車社会について書きたいのではない。車を扱う個々の人間のことに触れてみたい。車の運転は、上手な者もいれば下手な者もいる。人間にだって個体差はあるのだ。

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レヴィナス、いいかもしれない

今朝から『レヴィナス』を読み始めた。

レヴィナス―移ろいゆくものへの視線レヴィナス―移ろいゆくものへの視線
(1999/06)
熊野 純彦

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私はもともとから哲学は好きだけど、レヴィナスはまったく視野に入っていなかった。関心を持ち出したのは、つい最近。内田樹への関心から派生したものだった。そんな下地があったので、図書館で見つけたこの本を借りてきた。“移ろいゆくものへの視線”というサブタイトルも気に入った。

読んだのは、まだほんのわずか。この本について何か書けるほどには読んでいない。にもかかわらず、少し書きたくなった。レヴィナスの問題意識は、私が持つ問題意識と似通っている。そのように感じたので。

レヴィナスの問題意識の根っこは【身のおきどころのなさ】にあるという。レヴィナスはフランスの哲学者ということになっているが、生れは東欧リトアニアのユダヤ人、生れた時代と人種からナチズムの大きなうねりの中に巻き込まれざるを得なかった人。ナチスの収容所に捕まったが運良く生き残った人。【身のおきどころのなさ】とは、多くのユダヤ人が殺されてしまった中で、生き残ってしまったという罪悪感からくるものなのだろうと推測するが、その【身のおきどころのなさ】から逃げることなく、強靭な思想を展開した人、なのだろう。


レヴィナス

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私論暴論 Web3.0

私はインターネットの技術については、まったくわからない。なので、Web2.0がどうのこうのというような話は、ものの本なんぞをなんだか薄ぼんやり理解できるような気がしないでもないが、話がちょっと専門的なことになると、さっぱりわからない。私の理解の程度は、私がいま利用しているブログというサービスがWeb2.0といわれるものの一形態であること、Web2.0でもっとも成功している企業が言わずと知れたGoogleだ、といったレベルである。

そんな私が大胆というより無謀にもWeb3.0なんてことを考えてみようと思ったのは、あるひとつの疑問から端を発している。それは「カネを払ってない」。私はブログもgoogleも利用しているわけだが、カネは一銭も払ってない。もっとも、一般ユーザーがカネを払わないでよいカラクリがあることは承知している。そのカラクリが民放TV局と同様のものであることも。そしてWeb2.0という技術は、消費者にとっても都合がよいが、カラクリを支えるスポンサーにとって都合がよい技術でもある、ということも。

今回考えてみたいと思うのは、カネを直接支払う代わりに一般ユーザーにとってもっと都合のよいWebのあり方。スポンサーという存在は、一見、ユーザーがカネを払わなくて済むので大変ありがたい存在のように思えるが、実のところ、廻りまわってカネを支払っているのはユーザーだ。ユーザーがスポンサーにカネを払うということは、スポンサーが販売する商品なりサービスなりを支持しているということではあるが、それはそのままスポンサーの意向――TV局や新聞社などのマスメディアには大きな影響力があることはよく知られている。googleのような企業にまで及ぶかどうかは知らないが――ではない。現在のカラクリはいわば間接民主主義のようなものだが、それをユーザーの意向が直接反映する直接民主主義的なあり方に出来ないものか――。こんなことを考えるようになったのも、上にも書いたとおり私はWebの技術についてはよくわからないけれども、それでもWebは直接民主主義的な情報伝達のありかたを実現できる可能性を秘めた技術ではないかと期待しているからなのだが...。

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【virtual】ナワバリと土地所有【仮想=実質】

virtual:「事実上の、実質上の」と言う意味だが、慣例的に「仮想」という日本語訳をあてる。

〈はてな〉のキーワードにあった virtual の説明だが、これが実に面白い。

    *  He is a virtual manager. 「彼は事実上の支配人だ。」
                (「仮の支配人だ」ではない)
    * in virtual 「本質的には」。(「仮想的に」ではない)

そういえば遥か昔、受験勉強に明け暮れていたころ、そんな英単語の知識を一時的に頭に詰め込んだような記憶が微かにあるが...。シケ単とかいうやつで。


“慣例的に「仮想」という日本語訳をあてる”とはいうが、そういう慣例が出来上がったのは、コンピュータの技術が発達して以降のことだろう。コンピュータが生み出す電脳空間の中に仮想的にいろいろなモノを生み出すことができるような技術が発達してから、virtual は「仮想」という訳語をあてるのが慣例になったのではないだろうか? しかし、それにしても virtual にはもともとから「仮想」という意も含んでいるのではあるまいか? 〈はてな〉にも

「仮想」という訳はバーチャルリアリティにおいて使われたのが初めてではなく、例えばVirtual Workを仮想仕事と訳すなど、古くから用いられている。

と記述されている。おもしろい。

virtual という単語には、「事実上の、実質上の」という意味と「仮想の」という意味の、両方の意味がある。これら2つの意味は一見相反するようだけれども、実はこれは人間という存在の“in virtual”本質的なところを示しているのではないか? と思うのである。

人間には、「実質上の」と「仮想の」の区別がつかないところがあるのではないか。

しかし、そう考えてみると、いろいろなことが腑に落ちてくるような気がする。

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芸能ネタ(笑)

9/3の水曜日は、昼から雨に降られたのでいつもより早く帰宅した。

帰宅したら、TVでやっていたのが関西テレビの「アンカー」というニュース番組。そこで青山繁晴というジャーナリストが、“自民党総裁選の内幕”を語っていた。

前代未聞! 総裁選のギャンブル化

誰が総裁選をギャンブルにしているのか? そんなことをする人物は一人しかいない。そう、小泉純一郎。

詳しくはぼやきくっくりさんが記事にしておられるので、そちらをご覧になっていただくとして、要は、今度の自民党総裁選の影のプロデューサーは小泉だという話で、麻生に小池、石原といったメンバーで派手に騒ぐのは、小泉流のギャンブルだと。

青山繁晴
「ギャンブラーの小泉さんなんですが、それで小泉さん、ほんとにちょっと面白がってるようなところが僕は感じられるんで、『前代未聞!総裁選のギャンブル化』と申したんですけれど、これですね、小泉さんに言わせるとですよ、小泉さんが周りに言ってることによるとね、いや、むしろ俺は党のため、国のためにやってるんだと。と言うのは、総裁選盛り上げる時に、これ分かりやすい対立になるじゃないかと。
(くっくりさんの記事より借用。太線は愚樵)

で、今日、これまた関西ローカルの『週刊えみーSHOW』ってのを眺めていると、


小泉純一郎! 年内にも結婚か!?


ははん、なるほど、ね。国の一大事をギャンブルにして遊んで面白がって、あとは野となれ山となれ、ご自分は国の混乱を傍目にご結婚ですか。なんか、いかにもって感じですな。

ま、あくまで芸能ネタということで(笑)。

総選挙は遅いほどよい?

いまさらながらだけれど、福田が総理を辞めた。(あ、敬称は略します)

で、後継者争いで、大騒ぎ。麻生を筆頭に、小池、石原、与謝野の名前が取りざたされる。野田の名前も一時挙がっていたな。あと、谷垣あたりはどうなんだろう?

...なんてことは、どうでもいいのだ。いや、確かに自民党の総裁が次の日本の内閣総理大臣になるのは間違いないのだから、どうでもいいわけはない。メディアが騒ぐのは当然といえば当然ではある。

が、それでも、どうでもいい。どうせ自民党から出る総理大臣だ。2人も続けて政権放り出し総理を輩出した政党から、3たび国民の審判を経ずして誕生する総理大臣である。3度目の正直? ならば過去2度の“過ち”に対する反省があっても良さそうだが、その気配もない。 きっと、「2度あることは3度ある」。

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Author:愚慫
“愚樵”改め“愚慫”と名乗ることにしました。

「空論」は相変わらずです (^_^)

      

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