ハラスメント(1)
2008-06-30
ハラスメント【harassment】というと、まず思い浮かぶのは、セクハラ(性的嫌がらせ)。ついでパワハラ(権力を用いて行う嫌がらせ)。他にも、アカデミック・ハラスメント、ドクター・ハラスメント、アルコール・ハラスメント、スモーク・ハラスメント、ブラッドタイプ・ハラスメントと、いろいろ種類があるらしい。
ハラスメントをwikipediaで見てみると、「ハラスメント」を「嫌がらせ」として
「特定、不特定多数を問わず相手に対し、意図的に不快にさせることや、実質的な損害を与えるなど強く嫌がられる、道徳心やモラルのない行為の一般的総称」
と出てくる。この記述をみると意図的であることがハラスメントの要件のように思えてしまうが、これは違うだろうと思う。意図的・無意識的を問わないだろうし、道徳心も関係ないと思う。「相手が嫌がるような、モラルのない行為の一般的総称」で十分だと思うが、ここでいう「モラル」は厳密に定義することができない性質のものなので、ハラスメントは理解しにくく、それゆえ様々なトラブルの元になる。
当エントリーのタイトルを「ハラスメント」としたが、嫌がらせの意味でのハラスメントとは違う。人と人とのコミュニケーションにおいて、創発が阻害された病的コミュニケーションをハラスメントと定義する。そう、当エントリーは6/26のエントリー『創発的コミュニケーション』の続編である。
(このハラスメントの定義も『生きるための経済学』から借用)
ハラスメントをwikipediaで見てみると、「ハラスメント」を「嫌がらせ」として
「特定、不特定多数を問わず相手に対し、意図的に不快にさせることや、実質的な損害を与えるなど強く嫌がられる、道徳心やモラルのない行為の一般的総称」
と出てくる。この記述をみると意図的であることがハラスメントの要件のように思えてしまうが、これは違うだろうと思う。意図的・無意識的を問わないだろうし、道徳心も関係ないと思う。「相手が嫌がるような、モラルのない行為の一般的総称」で十分だと思うが、ここでいう「モラル」は厳密に定義することができない性質のものなので、ハラスメントは理解しにくく、それゆえ様々なトラブルの元になる。
当エントリーのタイトルを「ハラスメント」としたが、嫌がらせの意味でのハラスメントとは違う。人と人とのコミュニケーションにおいて、創発が阻害された病的コミュニケーションをハラスメントと定義する。そう、当エントリーは6/26のエントリー『創発的コミュニケーション』の続編である。
(このハラスメントの定義も『生きるための経済学』から借用)
多種多様な幸せ(3)
2008-06-29
豊かになったのに、バラバラになってしまった。前回は、そんな話をしたお婆さんのことを取り上げました。このお婆さんの意見は具体的な事実の指摘を伴ったものではありませんでしたが、そういわれると、私自身にも腑に落ちるものがありました。これは見聞きした話ではなく、私自身が体験したことの中で感じたことです。今回は、そのことを取り上げます。
豊かなのにバラバラというと普通は都会のことを思い浮かべてしまいます。が、これは私自身が体験した話ですので田舎の話。田舎に移り住んでからの話。今でも田舎は都会よりもはるかに人と人との繋がりが濃密なところですが、それでもある分野に限っていうと、もしかしたら都会よりもずっとバラバラになってしまっているかもしれないようなところもあるんです。それは、昔に比べてずっと豊かになって便利になった分野。コメ作りなんです。
豊かなのにバラバラというと普通は都会のことを思い浮かべてしまいます。が、これは私自身が体験した話ですので田舎の話。田舎に移り住んでからの話。今でも田舎は都会よりもはるかに人と人との繋がりが濃密なところですが、それでもある分野に限っていうと、もしかしたら都会よりもずっとバラバラになってしまっているかもしれないようなところもあるんです。それは、昔に比べてずっと豊かになって便利になった分野。コメ作りなんです。
哀しいくらいの嬉しさ
2008-06-27
今、NHKの「みんなのうた」で放映されている『このせかいに』。
音楽が耳にしたときには、これが喜びの歌だとはわからなかった。でも、少し注意をして聞いてみると、まぎれもなく喜びの歌。いい歌だと思う。
不思議なことに、どこか哀調漂うセンチメンタルな響きと喜びの表現とは、とてもよく合う。この2つが上手く融合すると、透明感が出る。透明感は儚さを醸し出す。この歌は、喜びと儚さが融合した不思議な歌。哀しいくらいに嬉しい、いのちの歌。
歌と一緒に流れる絵も、いい。歌の雰囲気にぴったり寄り添っている。
音楽が耳にしたときには、これが喜びの歌だとはわからなかった。でも、少し注意をして聞いてみると、まぎれもなく喜びの歌。いい歌だと思う。
不思議なことに、どこか哀調漂うセンチメンタルな響きと喜びの表現とは、とてもよく合う。この2つが上手く融合すると、透明感が出る。透明感は儚さを醸し出す。この歌は、喜びと儚さが融合した不思議な歌。哀しいくらいに嬉しい、いのちの歌。
歌と一緒に流れる絵も、いい。歌の雰囲気にぴったり寄り添っている。
創発的コミュニケーション
2008-06-26
論理か共感か? 書かれてあることのみを読むのか、行間を読むのか? 水伝騒動から派生したらしい、ブロク間の議論のあり方・コミュニケーションのあり方についての意見表明が、ここのところ相次いでいる。
私は水伝騒動については実にいい加減なウォッチャーでしかなかったが、それでも釈然としないものを感じてはいた。私はスタンスとしては明らかに共感派だ。ゆえに共感派に共感を覚えると同時に、共感派を攻撃する論理派のあり方に疑問を持っていた。論理の有効性は認めるものの、その有効性の範囲は限定されたものであり、他者が共感を覚えたとするものを論理をもって批判しようとする批判のあり方は論理の守備範囲から逸脱している――というのが私の見解で、その見解に沿ってエントリーを挙げたこともある。
今回のエントリーは、水伝騒動からコミュニケーションのあり方の模索へ議論が発展していった流れを受けて、私も共感派としての意見表明をしてみようというもの。いや、“私の意見表明”とするのは正確ではない。私の意見を代弁する記述をある本のなかで見つけたので、それを紹介するもの。そこでは、共感派の者たちがこれまでは漠然と「対話」としてきたこと望ましいコミュニケーションのあり方を、別の言葉で表現されている。それが「創発的コミュニケーション」であり、ある本とは安富歩著『生きるための経済学』である。
私は水伝騒動については実にいい加減なウォッチャーでしかなかったが、それでも釈然としないものを感じてはいた。私はスタンスとしては明らかに共感派だ。ゆえに共感派に共感を覚えると同時に、共感派を攻撃する論理派のあり方に疑問を持っていた。論理の有効性は認めるものの、その有効性の範囲は限定されたものであり、他者が共感を覚えたとするものを論理をもって批判しようとする批判のあり方は論理の守備範囲から逸脱している――というのが私の見解で、その見解に沿ってエントリーを挙げたこともある。
今回のエントリーは、水伝騒動からコミュニケーションのあり方の模索へ議論が発展していった流れを受けて、私も共感派としての意見表明をしてみようというもの。いや、“私の意見表明”とするのは正確ではない。私の意見を代弁する記述をある本のなかで見つけたので、それを紹介するもの。そこでは、共感派の者たちがこれまでは漠然と「対話」としてきたこと望ましいコミュニケーションのあり方を、別の言葉で表現されている。それが「創発的コミュニケーション」であり、ある本とは安富歩著『生きるための経済学』である。
多種多様な幸せ(2)
2008-06-23
(1)からの続きです。
お気づきの方もおられるかもしれませんが、『多種多様な幸せ(1)』をアップしたときには、(1)はついていませんでした。書き始めたときには、一回限りのエントリーのつもりでしたし、書いている最中に息切れして続きを書くことになってしまいましたが、それでも続きを一回書いたら終わりにするつもりでした。
けれど、気が変わりました。『多種多様な幸せ』というタイトルで、しばらくダラダラと書いてみようと思います。どこまで続くかはわかりません。どうせまた途中で気が変わるでしょうし(笑)。
そういうわけで、当エントリーは(1)の最後で予告した「本題」ではありません。ダラダラとした話の続きで、あるお婆さんから聞いた話を。
お気づきの方もおられるかもしれませんが、『多種多様な幸せ(1)』をアップしたときには、(1)はついていませんでした。書き始めたときには、一回限りのエントリーのつもりでしたし、書いている最中に息切れして続きを書くことになってしまいましたが、それでも続きを一回書いたら終わりにするつもりでした。
けれど、気が変わりました。『多種多様な幸せ』というタイトルで、しばらくダラダラと書いてみようと思います。どこまで続くかはわかりません。どうせまた途中で気が変わるでしょうし(笑)。
そういうわけで、当エントリーは(1)の最後で予告した「本題」ではありません。ダラダラとした話の続きで、あるお婆さんから聞いた話を。
愛の無知
2008-06-22
新しいエントリーを書こうと思って、そのタイトルに「a」「i」「n」「o」「m」「u」「t」「i」とキーボードを叩き、変換キーを押したら「愛の無知」と誤変換されてしまった。意図したのはいうまでもなく「愛のムチ」だったんだけど、誤変換の方がエントリーの内容にピッタリだと思ったので、そちらを採用することにした。
愛のムチ。なんだか艶かしいような言葉だが、ここ数日この言葉をやたら見かけると思ったら、発信源はかの東国原宮崎県知事らしい。
なるほど、このお方はマスタベーションも「愛」だと主張する人物のようだ。まあ、確かにそれも「愛」には違いないんだが、恥ずかしくないのか? いや、恥ずかしくはないのだろう。どのような場面で「愛のムチ条例」なるものを提言したのかは知らないが、まさか顔を赤らめつつ、うつむき加減で「愛のムチ」なんて話をされたわけでもあるまい。堂々と正面を見据えて、「愛のムチ」なる言葉を発したに違いない。そこから伺い知ることができるのは東国原知事の「愛の無知」だ。
愛のムチ。なんだか艶かしいような言葉だが、ここ数日この言葉をやたら見かけると思ったら、発信源はかの東国原宮崎県知事らしい。
「体罰は愛のムチ。昔はげんこつで教えられたが、最近はできなくなっている。愛のムチ条令はできないか」
「宮崎県で『愛のムチ条令』や『愛げんこつ条令』はできないか。愛という範囲で条例化するべきだ」
(とむ丸さんから拝借)
「宮崎県で『愛のムチ条令』や『愛げんこつ条令』はできないか。愛という範囲で条例化するべきだ」
(とむ丸さんから拝借)
なるほど、このお方はマスタベーションも「愛」だと主張する人物のようだ。まあ、確かにそれも「愛」には違いないんだが、恥ずかしくないのか? いや、恥ずかしくはないのだろう。どのような場面で「愛のムチ条例」なるものを提言したのかは知らないが、まさか顔を赤らめつつ、うつむき加減で「愛のムチ」なんて話をされたわけでもあるまい。堂々と正面を見据えて、「愛のムチ」なる言葉を発したに違いない。そこから伺い知ることができるのは東国原知事の「愛の無知」だ。
水も滴るイイ女だって
2008-06-21
メディアで皆目報道されない大阪・西成の様子の映像をニコ動でみつけた。
日本で起こっているとは思えないほど、凄いパワー。
このパワーがいいのか悪いのか、この映像からだけではわからないが、この騒動の原因を知りたい方はコチラへ。
多種多様な幸せの形(1)
2008-06-18
「愛」に続いて、今度は「幸せ」がテーマです。瀬戸さんからTB頂いた記事を読んで、その余韻が残っているところに見たTVニュースが本エントリーのきっかけなんですが、そのニュースとは、
(引用はNNNニュースだが、見たのは昼のNHKニュース)
同性婚解禁で結婚ラッシュ 米・加州
同性愛者同士の結婚が解禁となったアメリカ・カリフォルニア州では、同性カップルの結婚ラッシュが起きている。
カリフォルニア州最高裁の判決を受けて解禁された同性婚、スタート直後からゲイやレズビアンのカップルが続々と役所を訪れ、念願の結婚証明書を手にした。カップルの中には、SFドラマ「スタートレック」に出演した日系2世の有名俳優、ジョージ・タケイさんの姿もあった。同性婚が解禁されたことについて、ジョージ・タケイさんは「とてもうれしいです。(第二次大戦中)日本人は憎まれたけど、今、私は結婚をマスコミに騒がれるほど人気者になりました。アメリカは変われるのです」と喜びを語った。
同性婚解禁は全米の州で2番目だが、カリフォルニア州の場合、州外の居住者にも結婚を認めている。このため大勢のカップルが訪れ、今後3年間で約740億円の経済効果も予測されている。
保守的な地域では、宗教上の理由などから同性婚への反対の声も根強くあるが、カリフォルニア州は全米で最も人口が多い州だけに、アメリカ社会全体にどのような影響を及ぼすのか注目される。
同性愛者同士の結婚が解禁となったアメリカ・カリフォルニア州では、同性カップルの結婚ラッシュが起きている。
カリフォルニア州最高裁の判決を受けて解禁された同性婚、スタート直後からゲイやレズビアンのカップルが続々と役所を訪れ、念願の結婚証明書を手にした。カップルの中には、SFドラマ「スタートレック」に出演した日系2世の有名俳優、ジョージ・タケイさんの姿もあった。同性婚が解禁されたことについて、ジョージ・タケイさんは「とてもうれしいです。(第二次大戦中)日本人は憎まれたけど、今、私は結婚をマスコミに騒がれるほど人気者になりました。アメリカは変われるのです」と喜びを語った。
同性婚解禁は全米の州で2番目だが、カリフォルニア州の場合、州外の居住者にも結婚を認めている。このため大勢のカップルが訪れ、今後3年間で約740億円の経済効果も予測されている。
保守的な地域では、宗教上の理由などから同性婚への反対の声も根強くあるが、カリフォルニア州は全米で最も人口が多い州だけに、アメリカ社会全体にどのような影響を及ぼすのか注目される。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn/20080618/20080618-00000015-nnn-int.html
(引用はNNNニュースだが、見たのは昼のNHKニュース)
身体性と精神性の調和
2008-06-15
今日のテーマは、なんと愛です。愛。
しかし、【愛】って言葉は、気恥ずかしい。いつもいつも大真面目だか冗談だかわからないようなことを書き散らしていて、何をいまさら気恥ずかしいだなんて、自分でもおかしいと思うけれども、気恥ずかしいものは気恥ずかしい。
でも、なぜ、愛は気恥ずかしいのかな? たぶん、【愛】が恥ずかしいんじゃなくて、【愛】について語るおのれが恥ずかしいのでしょう。【愛】を語る自分の中に何かやましいものがあるのでしょうね、きっと。
そういえば、過去にも【愛】については書き散らしたこともあったような。たとえばココとか。そのときもやっぱり、【愛】は気恥ずかしいという感じていたことを憶えています。
(本エントリーには「自我」「自己」「自我愛」「自己愛」などという言葉が出てきます。これらは過去エントリーでも使用した言葉ですが、意味が違います。混乱を招きそうで申し訳ないのですが、ご容赦を。)
しかし、【愛】って言葉は、気恥ずかしい。いつもいつも大真面目だか冗談だかわからないようなことを書き散らしていて、何をいまさら気恥ずかしいだなんて、自分でもおかしいと思うけれども、気恥ずかしいものは気恥ずかしい。
でも、なぜ、愛は気恥ずかしいのかな? たぶん、【愛】が恥ずかしいんじゃなくて、【愛】について語るおのれが恥ずかしいのでしょう。【愛】を語る自分の中に何かやましいものがあるのでしょうね、きっと。
そういえば、過去にも【愛】については書き散らしたこともあったような。たとえばココとか。そのときもやっぱり、【愛】は気恥ずかしいという感じていたことを憶えています。
(本エントリーには「自我」「自己」「自我愛」「自己愛」などという言葉が出てきます。これらは過去エントリーでも使用した言葉ですが、意味が違います。混乱を招きそうで申し訳ないのですが、ご容赦を。)
モニタを見辛い
2008-06-10
先日、仕事の最中にメガネを無くしてしまいました。実は私、かなり度の強い近眼で、メガネは手放せません。山仕事には大変辛いんですけどね...。
今は予備のメガネを掛けてしのいでいますが、どれもこれもレンズが傷だらけ(苦笑)。これも仕事柄、どうしてもレンズに傷をつけてしまう。ワイヤーロープを編んだりつないだりするときに、どうしてもね。ゴーグルでもすればいいのですが、いちいち面倒だし。
傷だらけのメガネでは、PCモニタの文字が非常に見辛いんです。上手く焦点が合わない感じで、見ていると非常に疲れます。なので、ここ3日ほどほとんどPCに触っていませんでした。とてもPCに向かって何かを文章を入力しようという気力が湧きません。
というわけで、新たなメガネが届くまで少し休みます。週末には新しいメガネが届くでしょう。梅雨時で仕事が休みのことが多いので、PCに向かう時間はあるんですけど。久しぶりにPCから離れて、ゆっくり音楽でも聞いて過ごすことにします。
今は予備のメガネを掛けてしのいでいますが、どれもこれもレンズが傷だらけ(苦笑)。これも仕事柄、どうしてもレンズに傷をつけてしまう。ワイヤーロープを編んだりつないだりするときに、どうしてもね。ゴーグルでもすればいいのですが、いちいち面倒だし。
傷だらけのメガネでは、PCモニタの文字が非常に見辛いんです。上手く焦点が合わない感じで、見ていると非常に疲れます。なので、ここ3日ほどほとんどPCに触っていませんでした。とてもPCに向かって何かを文章を入力しようという気力が湧きません。
というわけで、新たなメガネが届くまで少し休みます。週末には新しいメガネが届くでしょう。梅雨時で仕事が休みのことが多いので、PCに向かう時間はあるんですけど。久しぶりにPCから離れて、ゆっくり音楽でも聞いて過ごすことにします。
『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』
2008-06-06
今日は本の紹介から。内山節著『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』。
内山氏は、以前にも取り上げたことがある(「貨幣経済への疑義」と「〈作法〉という知の形」。それから「ご先祖様」)。今の私には most favorite な哲学者。
favorite とはいっても特に熱心にフォローしているわけでもない。この本の初版は昨年の11月だが、知りもしなかった。知ったのは先日のNHK・BS。お玉さんが紹介していたブックレビューを見て、この本の存在を知った(お玉さん紹介の本は伊勢崎賢治著『自衛隊の国際貢献は憲法九条』)。レヴューを見て、さっそく amazon に注文した。
5月の末には本は届いていた。新書でさして読みでがあるわけではないが、一気に読まずにちょっとした空き時間を見つけてはぽつぽつと読み進めていた。主に朝の出勤前のちょっとした時間だったが、今朝、半分ほど読み進めたところで“しまった”と思った。何が“しまった”のかは後述するが、その“しまった”がこのエントリーの動機のひとつ。
内山氏は、以前にも取り上げたことがある(「貨幣経済への疑義」と「〈作法〉という知の形」。それから「ご先祖様」)。今の私には most favorite な哲学者。
favorite とはいっても特に熱心にフォローしているわけでもない。この本の初版は昨年の11月だが、知りもしなかった。知ったのは先日のNHK・BS。お玉さんが紹介していたブックレビューを見て、この本の存在を知った(お玉さん紹介の本は伊勢崎賢治著『自衛隊の国際貢献は憲法九条』)。レヴューを見て、さっそく amazon に注文した。
5月の末には本は届いていた。新書でさして読みでがあるわけではないが、一気に読まずにちょっとした空き時間を見つけてはぽつぽつと読み進めていた。主に朝の出勤前のちょっとした時間だったが、今朝、半分ほど読み進めたところで“しまった”と思った。何が“しまった”のかは後述するが、その“しまった”がこのエントリーの動機のひとつ。
日本教
2008-06-03
日本教とは、端的にいうと、「もののあはれ」を感じ取とろうとする価値体系(信仰)なんだろうというのが私の見解です。そしてこの「もの」は、現在の私たちの常識では、客観的に捉えられる対象物を指すが、日本教では私たち自身の存在や主観も含めてすべてを「もの」というのだろうと。
キリスト教のような創造神を想定する宗教ではすべての「もの」を神の創造物と考え、「もの」の背景に神という〈確固たるもの〉を想定します。が、日本教はすべての「もの」を〈うつろいゆくもの〉と捉える。一神教が徹底してすべての「もの」を〈確固たるもの〉と捉えるのに対して、徹底してすべての「もの」を〈うつろいゆくもの〉と捉えるのが日本教。本当に勝手な見解ですが。
キリスト教のような創造神を想定する宗教ではすべての「もの」を神の創造物と考え、「もの」の背景に神という〈確固たるもの〉を想定します。が、日本教はすべての「もの」を〈うつろいゆくもの〉と捉える。一神教が徹底してすべての「もの」を〈確固たるもの〉と捉えるのに対して、徹底してすべての「もの」を〈うつろいゆくもの〉と捉えるのが日本教。本当に勝手な見解ですが。
〈うつろいゆくもの〉
2008-06-01
今回もまた、続きです。前回のエントリー『空虚5度』からの続き。といって、論理的に話が続いているわけではまったくないのですが。
前回もわけのわからないことを綴りましたが、今回は、前回にもましてわけがわかりません(笑)。まったくもって「反知性」的です。
では...
前回もわけのわからないことを綴りましたが、今回は、前回にもましてわけがわかりません(笑)。まったくもって「反知性」的です。
では...




