愚慫空論

空虚5度

クラシック音楽に多少馴染みのある者には、「空虚5度」には、ベートーヴェン第九の出だし! という答えが帰ってくるだろう。


(カラヤンの第九。どうでもいいけど、やっぱりカラヤンはウルサイわ)

クラシック音楽に馴染みのない人でも、一度は聴いたことがあるはず。この音楽の出だしは“神秘的”などと評されるのだけれど、なぜ神秘的なのか、と問われると、返ってくる答えが「空虚5度だから」。これは、まあ、定説とでも言っておきましょう。

じゃあ、「空虚5度」とは一体何なのだ? 

昔々の音楽の授業で、3和音というものを習ったことがあると思う。ドミソとか、ドファラとか、シレソといった3和音。ドミソなどの3つの音を同時に鳴らすと、とてもキレイに響く。このキレイな響きが音楽の組み立ての元になっているわけだが、それは措いておいて、「空虚5度」とはドミソでいうなら、真ん中のミを抜いて、ドとソだけで和音にしてしまう、そういう響きを空虚5度という。

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間伐材の需要が増えてるって?

本日は久々に林業の話をば。

最近、しばしば「間伐材の需要が伸びている」なんて話を耳にする。いや、言葉は正確に使おう。「話」ではなく「報道」だ。「話」だと、私は林業関係者だから、関係者の中で「話」のように思われてしまうが、そんな「話」は聞かない(別の「話」は聞く。内容は後述)。聞くのは「報道」で、である。そして、そうした報道に接するたび、首を傾げたくなってしまう。こないだの土曜日も、朝、NHKニュースを見ているとそうした報道があった。その報道を見ながら首をかしげていたのである。

私が土曜日に見た報道は、ネットで検索してみたが見つからなかった。代わりに見つかったのがこれ。YOMIURI ONLINE のなかの1ページ。

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それは本当に「私」なのか?

本エントリーは、またまた続き物。前々回『ニセ科学批判の道徳性』のコメント欄のやりとりを受けてのエントリーです。

ですので、このエントリーからご覧の方はお手数ですけれど、前々回のエントリーとそのコメント欄をまずご覧になっていただけるとありがたいです。ああ、前々回はその前(『【語りえぬもの】を語る姿勢』)の前(『科学は陰謀説から生まれた』)から続いていますので、あしからず。

このエントリーは、ちょちょんまげさんのコメントにお答えするためにあげたものです。

「オレはオマエが嫌いだからオマエの命が残り少ないのは歓迎だ」が真っ当な批判、批判法であるならば、「イラクで事件に巻き込まれた者に対する自己責任批判」は、極めて真っ当な批判、批判法ではありませんか?

(この問いかけは、こちらこちらのコメントを踏まえてのもの。最初から読むのはいくらなんでも面倒だとお思いの方は、この2つのコメントだけでもご覧になってください。)

このご質問は、私には大変ありがたいものです。前々回のエントリーで展開したニセ道徳者批判の核心部分を衝くものだからです。このご質問へのお答えの中で、ニセ道徳者の何たるかを改めて示すことができると思います。ですので、本来はコメント欄でお答えすべきところを改めてエントリーとして挙げることにいたしました。

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災害復興に自衛隊を

5月2日にビルマ(ミャンマーともいう)を襲ったサイクロンの災害に引き続き、中国四川省で12日に大きな地震が発生。サイクロンの方は16日夜の報道で死者・行方不明者が13万人超、地震でも四川省だけで四川省だけで死者2万1500人超、1万4千人が生き埋めになっている、などと報道がなされている。どちらも現地は想像を絶する状況になっていることだろうと思いつつ、どちらも、ひとりでも多くの命が救出されることを望む。

ビルマの方は、国を牛耳る軍事政権が外部からの援助を一切受け入れない姿勢を崩していない。なので、現地で困難に直面している人々には救いの手は差し伸べられていない状況のようだ。残念なことこの上ない(それでも「国境なき医師団」は何らかの活動を行っている様子)。中国の方も当初は援助を断る方針だったようだが、被害の余りの酷さに中国政府は方針を転換して日本からの援助隊を受け入れ、彼らの活躍の様子がメディアで取り上げられている。

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ニセ科学批判の道徳性

早く次のエントリーを上げなければと思いつつも、ついつい時間を無為に過ごしてしまって、やっとエントリーを書き上げた。今回も引き続きテーマは科学と道徳。前回『【語りえぬもの】を語る姿勢』の続きである。

前々回の“道徳は【語りえぬもの】である”との結論を受けて、前回は“「節操」の欠乏した道徳者はニセ道徳者”と結論した。ここでいう「節操」とは“道徳を【語りえぬもの】として語ることであり、そこから“「節操」の欠乏”は“道徳をあたかも【語りえるもの】として語る”ということが導かれる。すなわちニセ道徳者とは“【語りえるもの】として道徳を語る者”ということになる。

ではニセ道徳者とは誰を指して言うのか? もちろん、具体名を挙げるといった「節操」に欠けた行為はできない。具体名は【語りえぬもの】としておいたほうがよかろう。それよりも、ここではニセ道徳者の有様をなるべく具体的に考えてみたい。そこで科学を【語りえるもの】の代表とし、科学を取り扱ったものとして「『水からの伝言』を信じないでください」を取り上げてみる。

想定している結論を先に書いておくと、ニセ道徳者とは“科学を道徳の基準として語る者”、さらに言い換えると、“道徳を語るに当たって「私」を隠蔽する者”である。

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【語りえぬもの】を語る姿勢

一つ前のエントリー『科学は陰謀説から生まれた』をあげたときから、このエントリーは書く心積もりでいた。むしろ、企図していたのはこちらの方が先だったかもしれない。

私のなかには「表現したいこと」の中核は間違いなく存在する。だがそれは【語りえぬもの】である。語りえぬことは承知しているが、それでも語りたい。だから思案する。語りえぬことをどのように表現しようかと。

今回のエントリーについても、いろいろと表現方法を思案した。表現のためのプロットをさまざまに練った。【語りえぬもの】は、逆に言うとどのようにでも語りえる。だからかえって難しいのかもしれない。迷いだすと限がなくなってしまう。思索の迷宮に迷い込む。今回もそうした迷宮に迷い込みそうになっていたのだけれど、そこへ迷いから抜け出す道しるべを示してくれた人がいた。

その人は、瀬戸智子さん。瀬戸智子の枕草子『戸坂潤の道徳論を読む』の中にあった戸坂潤の言葉

「科学的認識のうえでの論理の欠乏は、道徳的意識のうえでの節操の欠乏に対応する」

が思索の迷宮から抜け出す道しるべになった。今回のエントリーは、この格調高い言葉に私なりの泥臭い行き方で迫ることをもって内容としたい。

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科学は陰謀説から生まれた

少々挑発的なタイトルになった(笑)。

タイトルでは端折ったが、科学とは近代科学、とりわけ自然科学のことである。「科学」と称される知的体系は古代から、そして世界中の文明に存在したが、論理実証主義を基礎とした近代科学が産まれたのにはキリスト教の影響が大であったとするのは、定説といってよいと思う。

近代科学はキリスト教から生まれたのか? そう、タイトルはそういう意味でもある。では、キリスト教は陰謀説だというのか? 各所から非難の声が挙がりそうだが、そうだと答えておこう。ただし、これは単なるレトリックでしかないことは明記しておく。

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9条は道徳か?

昨日、私は幕張にいた。昨日の幕張は、そう、世界9条会議の初日。全体会が開催された。できれば今日、5日の分科会ものぞいてみたかったが、残念ながらそれは叶わず。んだもんで、今、ここでPCモニターに向かってキーボードを叩いている。

昨日の初日は大成功だったようだ。私は開場の1時間以上も前から並んで早々に入場したのだが、発表によると2000人以上もの人が会場に入りきれずにいたとか。収容人数が7000人だというから、1万人近い人が集まったことになる。この手のイベントとしては大成功なのだろう。賑やかで、盛り沢山で、熱のこもったイベントだった。宗教的かと思うくらいに。(盛り沢山過ぎ、との印象もあるが)。

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2日ほど出かけます

所用があって、これから2日ほど出かけてきます。帰りは5日の夕方の予定ですが、すぐにネットを閲覧するかどうかは未定。

別にこんなことを断る必要もないのでしょうけどね。いままで散々、放置していたし。ただ、今、ここ空論や、また別の場所でも議論が盛り上がっているもんで。ちょっと気にかかったのでアップしておきました。

帰ってきたらこのエントリーは削除の予定。


5/5 追記

帰ってきたけど、削除はやめ。世界9条会議に出かけてました。4日の全体会議だけね。

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“愚樵”改め“愚慫”と名乗ることにしました。

「空論」は相変わらずです (^_^)

      

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