愚慫空論

「おかあちゃんみたいになりたい...」

さて、お約束だった『ちりとてちん』についての話の続き。先延ばしにして、書くのが嫌にならないうちに、書いておきましょう。

『ちりとてちん』最終回の放送は、先のエントリーの追記にも書いたとおり、視ました。視たけれども、まあ、落語で言うところのオチが滑ったとでもいいますか、そらアカンやろ、というような内容だったので、私のところでは触れないことにします。dr.stoneflyさんのところで紹介されてますので、気になる方はどうぞ、そちらをご覧になってください。

先のエントリーで、私は『ちりとてちん』最終回一回前の放送でのどんでん返しを「母性の復権」だと書きました。ここでは、そのことについて書かなければなりませんね。というわけで、「母性の復権」を軸に話を進めます。

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ガソリン暫定税率期限切れ ―― 主役は国民だ

『ちりとてちん』から「母性原理の復権」の話をしなきゃならんのですけどね...。ちょっと先延ばしσ(~ ~;)

で、今、ホットな話題のガソリンおよび軽油の暫定税率の期限が切れるという話。明日で期限が切れ、明後日からはガソリン・軽油が安くなる(ガソリンは少し時間がかかるとか)のは確実な情勢になってきた。この問題を巡っては、評論家か何か知らないけど、いろんな人がいろんなことを言ってるけど、どうもおかしいと思うので、私の思うところを書いてみようと思う。

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今日で『ちりとてちん』最終回

...野辺へ出てまいりますと春先のことで、
空には雲雀がピーチクパーチク、ピーチクパーチクさえずって
下にはれんげ、たんぽぽの花盛り
陽炎がこう燃えたちまして
遠山にすうーっと霞の帯を引いたよう
麦が青々と伸びて、菜種の花が彩っていようかという本陽気
やかましゅ~言うてやってまいります、その道中の陽気なこと!

『ちりとてちん』で繰り返し流されたこのせりふを夢のなかで聞いたところで、今朝は目が覚めた。今日は『ちりとてちん』の最終回。今、この原稿を書いている時点ではまだ最終回は視ていないし、今日はこれから仕事に出かけるから、視られるのは帰ってきてからになる。仕事から帰ってきて最終回を視てから書けばいいものを、仕事へ出かける前のわずかな時間を割いても、今、どうしても書きたくなった。『愛宕山』のせいふが頭の中に浮かんできてしまった所為だ。

昨日の放送は、大ドンデン返しだった。貫地谷しほり演じる徒然亭若狭(B子)が落語を辞めると宣言。和久井映見演じるおかあちゃんに向かってB子が大阪に出かける前に吐いたせりふ

「おかあちゃんみたいに、なりたくないの!」

をおかあちゃんに改めて誤り、訂正し、

「わたし、おかあちゃんみたいになりたい...」

と言った。ここがこのドラマのキモだったわけなんだね。B子の落語修行物語りも、若狭塗り箸を巡るテンヤワンヤも、みな、ここのための彩りだったんだ。

「母性の復権」。ひとことでいってしまうとつまらんけど、そういうことか。でも最近、この「母性の復権」が、日本の社会を底を流れる大きな潮流になっているような気がする。勝ち組負け組みに二分され、格差社会に翻弄される若者たちが「自分探し」に彷徨う。その結果、見つけるのが「平凡な日常」。こういう「答え」をあちこちで見かけるような気がする。私は当然、この「答え」に賛成だ。

さて、続きは最終回の放送を見てから。今夜、追加をアップします。アップするつもり。

*****

3月30日追記:

昨日アップするつもりだったんだけど、昨夜は眠気に勝てず、あっさり断念。7時前には就寝しました。続きは新しいエントリーにて。

ちょっくら花見

七越のサクラ

今日は朝方に雨が降って、仕事は休み。んだもんで、近くに花見に出かけてきました。右上に少し覗いているのは、熊野川の流れ。ほとんど水はないんだけど。

場所は、熊野と吉野を結ぶ修行の道で、修験道の始祖・役小角が開いたといわれる大峰・奥駈道の出発点(那智の西岸渡寺を出発点とするなら、2日目の行程の出発地)。

今日は本当は、いつものようにいろいろとややこしいことを書こうかと思ったんだけど、結局、時間がとれそうもない。そんなわけで、今回もまた、繋ぎのエントリー。

賑やかな季節になった

しばらく更新が滞っている。おまけにいただいたコメントへの返事もしていない(申し訳ありません)。

先に書いた死刑についての話の続きとか、チベットについてとか、それからガソリンのこととか、書きたいと思うことはいっぱいある。いっぱいあるのだが、書けない。風邪を引いてしばらく体調を崩していた上に、回復して仕事に復帰するとしばらく休むことも出来なくて(休んだ分を取り返さないと、生活が苦しいので...)、どうにも時間が取れない。もともと私は筆が遅いところへ持ってきて、重いテーマを好んで取り上げるものだから、ますますエントリーをあげるのに時間がかかってしまう。途中まで書きかけて放り出してある原稿がいくつあることか。自分の文才の無さに嫌気がさすこともしばしば。

といって何も書かずにいると、ますます書くのが嫌になるから、ここらでまたひとつ、軽くエントリーをあげておくことにする(最近は、こんなのばっかり)。ホント、ただ書いただけで、それ以上の意味は無いから、ここから妙な議論を展開したりしないように、とある人にはお願いしておこう。

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牛丼まずい

今日は春の彼岸(の中日)だが、今日の話は半年前の秋の彼岸の時の話。あ、牛丼と彼岸は直接関係ない。

春の彼岸はこちらでは御大師さんの祭りにもなっていて、集落のみんなが楽しみにしている餅投げが行われる。ところが今日は生憎の天気だったので、いつもは御大師さんをまつる祠の前で行われる餅投げが集会所で行われることに。以前にも書いたが、春秋の彼岸は私にとって数少ない定休日なので、当然休んだのだが、それ以前に数日前から風邪を引き込んでしまっていて、その餅投げには参加できず。してもよかったんだけど、お年寄りの風邪をうつしてもいけないし。それに私には餅投げはさほど楽しくないし。

餅投げを楽しみにしているのは妻の方。今日も近所の婆さんたちと餅の奪い合いを演じてきた。これでまた、私の朝食はしばらく雑煮ということになる(苦笑)。

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「私」と社会とを結びつける絆

紛らわしいタイトルだが、今回のエントリーの内容は死刑廃止論。私(愚樵)の個人的な事柄ではない。当ブログをご覧になっていただいている方はご存知だろうが、私は死刑廃止論の立場に立つ人間だけれども、今回は死刑存続論に近いことを書いてみようと思う。被害者遺族のことを考えると、どうしてもそうならざるをえない。

なお、タイトルの「私」とは私(愚樵)のことではなく、ごく一般的な「私」。英語で言うと“I”ではなく“one”のこと。

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「無」より生まれて「無」に帰すのでないなら

「有」は「無」からは生まれない。宇宙開闢のときは知らないが、何もないところから何かが生まれたりはしない。これが私達の世界の法則。物理の法則である。

私たちヒトは物理の法則に束縛されて生きているけれども、一方で、物理の法則から自由な世界も持ち合わせている。こころ、心、精神と呼ばれているものが、それ。この世界はヒトそれぞれの中に個別に存在して、私たちは、物理の法則の制約と心の自由の狭間で暮らしている。そして、心が個別にあるということが、私たちの社会を複雑怪奇なものにしている。

私たちは、心の世界が物理の世界とは別に存在していると感じている。では、この心はどこから生まれたのか? 何もない「無」から生まれたのか? そして、「無」に帰していくのか?

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花粉症

何を隠そう、私も花粉症である。

樵のクセに花粉症だって? 笑いたければ、笑うがよい。樵という職業を私は私の自由意志で選択したが、私の身体が花粉症であるという選択をしたのは、私の意志の与り知らぬところ。もっとも、樵という職業を選択する時点で自らの花粉症を知っていはいた。知ってはいたが、林業に対する情熱は花粉症ごときで挫けることはなかったのである(な~んちゃって(笑))。

ただ、花粉症といっても、私の症状はあまり酷くはない。仕事中はマスクも何もしないし、特にクスリも飲まない。この季節、スギを切り倒すとまっ黄色な粉末がもうもうと舞い上がったりするが、忍の一字で耐えるだけ。多少目が痒くなり鼻が詰まり気味になるが、さほど気にならない程度。花粉症の症状より、マスクなどをしているほうがよほど辛い。クスリも飲んでみたことがあるけど、どうも効き目が強すぎるような気がして、やめた。その程度なのである。(妻に言わせると、アンタはニブイ、んだそうな。)

辛いのは花粉飛び交う昼間よりも、むしろ夜。なぜか、就寝する頃になると鼻詰まりが酷くなり、横になると完全に鼻が詰まってしまって、口で呼吸をするしかなくなる。口で呼吸をしている状態ではなかなか寝付けないし、なんとか寝付いても、翌朝、喉がカラカラに渇いてしまっていて、不快。

一昨日あたりからボチボチ来たかなと感じていたが、今日は陽気も良くて、どっとおいでになった。またしばらくの間、花粉症とお付き合いか。

といって、別に憂鬱でもなんでもないんだよね。まあ、不快には不快だけど、それで気分がすぐれなくなったり、な~んてことは全然ない。やっぱりニブイんだろうか?

ド根性!

昨日見かけたフキノトウ。

フキノトウ


これ、フキノトウなんですよ。もう、トウが立ってしまって食べられないけど。いえ、食べられなくはないけど、固くておいしくない。

生えている場所は、山の斜面を切り崩して道を拓いた跡の、山側の崖。そこにコンクリートを吹き付けて崩落防止を施した法面(のりめん)。コンクリートのちょっとした窪みにたまった、落ち葉なんかの上に生えてる。


もうすこし早く見つけたら、食ってやったのに。

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Author:愚慫
“愚樵”改め“愚慫”と名乗ることにしました。

「空論」は相変わらずです (^_^)

      

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