愚慫空論

犬がいなくなった

我が家は犬を2匹飼っている。そのうちの1匹を私の仕事に同行させているのだけれど、そいつが昨日、いなくなった。いなくなったというより、帰ってこなかった。

そいつの名前はフク(♀)という。

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内田樹のジレンマ

私たち夫婦は、現在の住まいである紀州熊野に越してくる前、都会に仮暮らしをしていた頃には携帯電話を所有していた。ひとりひとつずつ、家族で2つ。仮暮らしの部屋には固定電話はなかった(但しADSL回線は引いていた)。今の時代であれば、ごく当たり前の通信環境といってもいいだろう。
こちらに越してきてからはケータイは2つとも解約すると同時に、固定電話に加入した。ケータイは新しい住まいでも充分通じたけれども、田舎にはケータイは不要だろうという浅はかな先入観があって、ケータイは必要ないと判断したのであった。

田舎にケータイは不要というのには、田舎ではケータイはさほど普及していないだろうという、田舎者をバカにしたわけではなくて、憧れのような気持ちがあったわけであるが、それが間違えた判断であったことはすぐに判明する。さすがに私たちが住む限界集落の大部分をしめるお年寄りたちはケータイなど所有はしていないが、就労している年代以下の人たちはほぼ全員、ケータイは所有していた。それも、もう何年も前から。それもかなりの割合の者が、自宅では携帯は通じないというのに。これには少し驚いた。

驚いたが、私たち夫婦にはケータイは不要という判断は揺るがなかった。別にそんなもの、ないならないでも充分に暮らしていける。現在は仕事の都合で私が自宅にいないことが多いためまた再びケータイを導入したが、それでも約4年間、ケータイなしの生活であった。それまでケータイありの生活を知っていたので、ケータイがあればと便利なのにと思うことはしばしばあったが、どうしてもそれなしでは暮らせないというものではない。多少の不便は我慢すればよいし、そういう我慢はできると思うからこその田舎暮らしでもあったわけだし。

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心の中の「きれいごと」

「きれいごと」を辞書を引いて見てみると
①うわべだけがりっぱで、実のないこと。 ②手をよごさずにできる仕事。
と出ていた(小学館『新選国語辞典』)。この「きれいごと」という言葉、ことばヅラはたいへんに“きれい”なんだけれども、意味は裏腹に“きたない”。なんだか不思議だ。

今回のエントリーのタイトルを『心の中の「きれいごと」』とした。これは最近、辞めるの辞めないのと騒いだお二人のことをいろいろと思い巡らした末にこうなってしまったのだが、こんなことになってしまったのは、「きれいごと」という言葉に象徴されるような内と外との矛盾のようなものが、この二人の辞任劇および辞任未遂劇にもあると思ったからである。

まあ、ようするにいつもの如く訳のわからんことを述べてみようということだ。よかったら、後半お付き合いください。

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経世済民な歌

小沢一郎の辞任劇。大騒ぎした挙句、結局元の鞘に納まる模様。他人事ならそれもよかろうが。

しかし、小沢一郎と民主党の関係は他人事なのだろうか? 私たち選挙民と小沢一郎&民主党の関係も、小沢辞意撤回で元の鞘に納まるか? これはそう行きそうにはない。

何がなんだか、さっぱり分からない。福田&小沢の密室会談から始まって、大連立の報道、唐突な辞意表明会見、そして辞意撤回。これだけ訳が分からないと、他人事と捉えるしか私たちには選択肢がないようにも思えてしまう。では、私たちが投票した一票は何だったのか?

今日、小沢一郎の会見が再びあるらしい。釈明会見ということだろうか。訳の分からなさをどこまで払拭してくれるだろうか。


訳の分からないことに気を奪われてストレスを溜めるのは、本当に不愉快な話。こういうときは、気分を入れ替えるに限る。

というわけで、気楽に最近聴いた歌の話。

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Author:愚慫
“愚樵”改め“愚慫”と名乗ることにしました。

「空論」は相変わらずです (^_^)

      

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