愚慫空論

自然信仰から切り離された怨霊信仰

昨日の「ご先祖様」という記事で、日本人が昔もっていた自然信仰について触れた。そうしたら(というわけではあるまいが)、『遠方からの手紙』のかつさんのところでも「不思議の国「日本」」という記事をアップされていて、

まことに、現代日本という国は、最先端の科学と技術を誇る消費資本主義という高度な段階にまで達する一方で、原始的な心性があちらこちらに残っているという 「不思議の国」 なのであり、世界的にもまれな、人類学的にも貴重な社会であり国家なのである。

なんて書いておられた。同意。
ただ少し引っかかったのは「原始的な心性」と表現されているところ。これは記事冒頭のフレーザーの 『金枝篇』からの流れだから「原始的」は論理的には正しいのだけど、私はそもそもフレーザーが「原始的」としたのが誤りであると思っている。「原始的」ではなく「基本的」とでもすべきだ。

ここらあたりは日本人の価値観・世界観の根幹に関わる大変重要な問題だと私は考えている。ここではあまり深入りはできないが、最後に少しだけ触れてみようと思う。
で、まず考えたいのは最先端社会と「原始的」な心性とが同居しているということ。そしてこの同居は、どうにも不幸な同居のようにしか思えないということ。



かつさんの前だったか後だったか忘れたが、昨日は久々に『きっこのブログ』も見た(「あたしは絶対に許さない!」)。一言で言うと、このごろ流行の「死刑にしろ!」という煽り記事。一月ほど前名古屋で磯谷利恵さんという、うら若き女性が鬼畜ともいえる三人に惨殺された事件について。ご丁寧にも利恵さんの母上の手記を掲載し「極刑陳情書」へのリンクも貼り付けてあった。

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ご先祖様


昨日はお彼岸の中日ということで、墓参りに行ってきた。参ってきたのは私の父の系列のご先祖様だが、なぜか今住んでいるところからは近くて、往復で300キロほどの道程。

この300キロの内訳は、概算で山道(といっても国道だが)が200キロ、信号が一杯あって渋滞している都会道100キロといったところ。山道は走り慣れているのでどうってことはなかったが、都会道は疲れた。車の運転は非情な交通マナーで知られる大阪で慣らしたからもともとは都会道にも強いはずなのだが...、車の運転まで田舎モンに成り下がってしまった(苦笑)。

ああ、そうそう。昨日は山道でも疲れたのだった。トロイ都会モンがカーブをのたくた走ってくれるおかげで、ストレスが溜まったせいで。


話はご先祖さまだった。
「先祖」という言葉を辞書でみてみると、
    1.家の初代。血筋のはじめ。
    2.一家の、今生きている人よりは以前の人々。
と出ていた。ご先祖様に墓参りというときの先祖は、2のほうの意味であろう。だが、1にしても2にしても、「家」という概念の源泉の「血筋」が前提にあって「先祖」だいうことである。
「血筋」に基づいた「先祖」。当たり前の話で、昔々から延々と続いてきた概念のように思われるが、実は、ほんの150年ほど前までは違ったのだいう話を、ここでしたい。内山節氏の講演で聞いた話である。

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本日より仕事へ復帰

『やってしまった』でご報告申し上げた(誰に?)負傷もなんとか癒え、本日から仕事に復帰することになりました。この3週間ほどの休みは、私にはまさしく天恵でした。
現在、政界では面白い事態が進行中であり、ここで仕事に復帰するのは名残惜しいような気もするのですが、諸般の事情もあり、致し方ありません。
今後は、これまでのようなペースでブログの更新はできませんが、ボチボチとは続けて行きたいと思います。

ではでは。

変革原理と順応原理 もしくは 切断原理と受容原理  その1

変革原理と順応原理、切断原理と受容原理とは、つまりは男性原理と女性原理のことである。一般に通じるように男性原理、女性原理と書くつもりで前から構想していたのだけれど、碧猫さんがやりとりの中で“その呼称はどうかなぁ”という疑問を呈されて、それもそうだと思ったので、男性原理女性原理を避けたんだけれども、かえってややこしいかな? まあ、いいや。

そういうわけで、変革原理と順応原理、切断原理と受容原理について、脈絡なく、あれこれと考えてみたい。私はこの二つの原理こそ、人間の活動を奥底で定義している根本原理ではないかと思っていて、また、現代社会は変革・切断原理に強く引きずられた社会だと思っている。そのあたりを脈絡なく。
原理

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クーデターの主犯はメディア ...だって

福田でも麻生でも、どっちでもいいんですけどね。

けど、メディアは信用できない。胡散臭さは我慢できない。

他所からの転載ですけど、メディアの「実態」らしきものが出ていたので。

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豆腐

今回は自慢話。

今日、豆腐を食べた。それも自家製の豆腐。原料の大豆から自家製。昨年、ウチの畑で収穫したもの。それを昨日から水につけてふやかしておいて、今朝から豆腐を作った。

大豆をミキサーにかけて粉砕し、それを鍋でいったん煮る。おからと豆乳に分離したあと、80℃まで熱して、ニガリを入れて固める。しばらくすると、いわゆるおぼろ豆腐が出来上がる。自家消費するわけだから、型で固める必要はなし。ザルにとって、ざる豆腐にする。

手前味噌ならぬ手前豆腐な話で恐縮だが、いままで食べたどんな豆腐よりも美味しかった。とくに出来立ては最高。病み付きになりそうである。

上手い豆腐は薬味も何にもいらない。醤油もいらない。塩をパラリので食べるのが上手い。
ウチは貧乏だが調味料の類だけは奢っている。そうしないと、せっかく手に入る美味いうえにタダの食材が台無しになってしまうからだ。


妻は今日の豆腐で畑を広げることを決意したようだ。もちろん、大豆を蒔くのである。幸い、まだ空き地はある。
大豆は作るのには世話はない。荒地のような畑で充分だし、肥料もいらない。ただ、虫食いがすごい。農薬をまかないから、1/3は虫にやられる。収穫したら、それを一個一個取り除かなければならない。それが面倒。

こうした作業は、昔はおばあちゃんが縁側でのんびりとしていたもんだけど。私の周りでは、まだそうした風景が辛うじて残っている。

日本人のDNA

昨日の天木直人さんの記事に引っかかった。「優しい世代」と題した記事だ。
これは毎日新聞の「発信箱」というコラムを元に書かれた記事。

「僕らは貧乏だけど貧困じゃない」「お金がなくても人間らしく暮らせればいいじゃないか」

 東京でこの夏あったトークライブ。バブル崩壊後に成人した「ロストジェネレーション(失われた世代)」の20~30代が激論を交わしていた。

 パネリストのフリーターや自営業、NPO主宰者に共通していたのは「人をけ落としてまで生きたくない」という労働観だった。リサイクルショップの経営者は「社長だけ高い給料もらうなんて、オレには無理。一緒に働く人からどう見られるか考えたら、耐えられないもの」と言った。

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嘘吐きの政治屋ども

さっきまでヒマに飽かしてサンプロをみていた。

すると、まず登場してきたのが石原ノブテル氏。役どころは晋ちゃんへの同情を集めることだったようだ。

ノブテル氏いわく、「この辞任でもっとも国民に申し訳ないと思っているのは、安倍総理自身」。

ウソこけ。
だったら辞任会見のときに、お詫びに言葉があったはず。晋ちゃんが何回も言ったのが「局面の打開」。誰のための「局面の打開」?


で、次、麻生・福田の両氏。
福田氏いわく、「総理大臣になることなんて、いままで考えてなかった。勝手にマスコミがそういう意志ありと報道してだけ。今回は、皆さまからの推薦を受けて手を挙げた。私が手を挙げなかったら、麻生氏ひとりになって総裁選は行われなかった。それはよくない。総裁選を行うため、私は手を挙げた」

ウソこけ。
立候補の意思表明をしたときの、あの表情。見てたよ。
それに、先に額賀氏が手を挙げてた。谷垣氏もアンタが出なきゃ手を挙げた。やりたくなきゃ、仮にもアンタの親玉だった小泉氏を見習って、固辞すりゃよかっただけのこと。

で、麻生氏だが...。
もう、バカバカしくなってチャンネルをかえた。だから聞いてない。

勝ち馬に乗れ?

なんだ、もう、あっさりと福田に決まったらしい、次期自民党総裁。

やっぱり心配したとおり、晋ちゃんが担ぎ出されたときと同じ。流れが決まると、勝ち馬に乗れとばかり、それっと寄り固まる。彼らの空気を読む能力はすごい! あの、チルドレンたちですら、福田支持? 笑ってしまう。 支持に回ったからって、公認もらえると思ってるのかね? 公認もらったからって当選すると思ってるのかね?

前首相小泉の最大の汚点は、国会をこんなオボッチャン、オジョウチャンばかりにしたことだね。あ、これは国民の責任か。

どっちにしても、小泉が壊したはずの「古い自民党」が復活した。福田がほとんどの派閥の支持を集めたんだって。 派閥? まだそんなこと言ってんの?  ホント、空気が読めない!

空気が読める、読めない、どっちだ!
って? 人は誰だって関心のあるものは空気も読めるもんですよ。彼らは自分の保身には関心あるけど、民意にはな~んも関心ない。そういうことでしょ? そういう空気、国民がいつまでも読めないと思っていたら大間違い

ほんとうに聞きたかったこと

とある医療関係のブログで私が発した質問がちょっとした話題になっているそうだ。⇒コチラ。その話題の元がコチラ

こんなことを書いていいのかなと思いつつ、ここで私が本当に聞きたかったことを告白しておく。私が本当に聞きたかったことは、実は、医者が高給を取っているなんてことじゃない。はっきり言っておくが、ほんとうは私にはそんなことはどうでもいい。誰がたくさん給料をもらうかなんて、私には全く関係がない。いいな、と思いはするけどね。
でも、そんなことが私の行動の指針にはならない。金はあくまで私にとっては価値判断の一方法に過ぎない。それがどれほど世の中のモノサシであるとして、広く強く信じられていようともね。

では、そんな私がなぜ、医者は給料取りすぎなんじゃないっすかぁ? なんて聞いたか。 真意を説明したい。

まず、その説明にあたって、私がどういう人間かということを少しでも理解してもらった方がいいだろうと思うので、少し私自身のことを説明する。

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Author:愚慫
“愚樵”改め“愚慫”と名乗ることにしました。

「空論」は相変わらずです (^_^)

      

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