愚慫空論

右傾化する者たちへの共感? 同情?

私はなぜだか、右傾化していく者たちに共感と同情の入り混じったような気持ちを抱いている。

彼らの主張、たとえば、日本国民としての自覚と誇りを持つべきだ、などといったところに、別段、違和感を感じたりはしない。それはその通り、と思うだけのことだ。自分が帰属する共同体への敬意とか尊敬といった感情を持つこと、つまり特別視することは自然なことなんだと思う。人間は誰だって自分自身が特別な存在なのだし、そうでいながら一人では生きていけないし、だから自分の存在を担保してくれる共同体と自分とを重ね合わせて特別視するに至るのは、これはヒトという種の生存様式に適っていると思うわけだ。

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「浄・不浄」で考えてみる・死刑編

それにしても『死刑執行人の苦悩』(大塚 公子著)は衝撃的な本でした。この本を手にして以来いろいろと考え込んでしまっているのですけど、改めて思い知ったのは殺すという行為の重大さ。理由がどうであれ、殺すには大変なエネルギーが必要なようです。それも「負のエネルギー」です。

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チキンレースは止めよう

やっぱり北朝鮮、やってしまいました、核実験。夕方帰宅したら、妻が開口一番「今日は北朝鮮のニュースばっかり」。反射的に、「あっ、やったな」と思いました。予想をしていたとはいえ、少々ショック。多くの人も同じ思いを抱いておられることでしょう。

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庶民vs市民(後)

前回の続き。今回は、前回最後で提示した倫理観の対立の解決へ向けて、バカはバカなりに何らかの方向性を示さないといけないのだが...、そこまで行くかな?

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庶民vs市民(前)

市民も庶民も共に「一般の人々」という意味の語だが、少しニュアンスが違うように思う。例えば「プロ市民」なるわけのわからない言葉があって、私なども、とある掲示板のやり取りでそういった称号を頂いたことがあり、なんとなく意味を把握できるが、では「プロ庶民」という言葉が成立しうるかというと、それには違和感を感じる。市民はイコール庶民ではない。

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理由なき殺人

私はつい最近まで、死刑制度を容認すべきかどうか、判断をつけられずにいた。しかしブログのおかげで、この迷いに決着がついた。今は死刑制度は廃止すべきだと明確に考えられるようになった。
だが、ヒネクレタことを言うけれども、私の中では「死刑」と「死刑制度」は少し違う。「死刑制度」については明確に反対だけれど、「死刑」となるとまだ迷う。というよりも、「死刑」については明確に反対する理由は見つけられないだろうという気がしている。
「死刑制度」に明確に反対できるようになったのは、実は「死刑」と「死刑制度」を分けて考えられるようになったということでもある。       

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Author:愚慫
“愚樵”改め“愚慫”と名乗ることにしました。

「空論」は相変わらずです (^_^)

      

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