愚慫空論

身体的価値と言語的価値 (前半)

思索をしていると、ふと「自身の言葉」が湧き上がってくることがあります。

 有朋自遠方來 不亦樂乎


〈からだ〉と【アタマ】
身体現象世界秩序と言語現象世界秩序。

言語現象世界秩序とは〔虚構〕のことです。
身体現象世界秩序は〔自然〕になります。



ぼくたちサピエンスは言語現象世界秩序に生きる〔人間〕である以前に、身体現象世界秩序のなかで生きる〔ヒト〕です。

もちろん〔人間〕や〔ヒト〕といったシニフィエは虚構です。
言葉によって仮構されたものにすぎない。
現実には〔人間〕も〔ヒト〕も同一の存在。
同一の存在の異なった側面を言語作用によって切り出しているに過ぎません。


言葉の効用は「切り出し」だけではありません。
切り出した側面に焦点を当て、拡張する効用がある。
焦点が当てられなかった側面を隠蔽する効用がある。
さらには、拡張された側面を他者と共有することができる機能もある。

言語はこれらの機能の複合作用によって秩序を形成します。
すなわち言語現象世界秩序です。



言語によって焦点を当てられることがなかった側面は隠蔽され抑圧されます。
言語誕生以前に所属していた世界秩序、そこから離脱してしまうと生命を維持することができない秩序、すなわち身体現象世界秩序は、そうして抑圧阻害されてしまうことになる。


全体の中の一部分が拡張されて他の部分が抑圧されてしまうという現象自体は珍しいものではありません。
この現象は、進化論の術語で言えば“淘汰”です。
淘汰は自然現象としても人為的にも起きる。
自然であれ人為であれ、淘汰は一部の拡張と一部の抑圧という現象になります。

淘汰によって全体が破綻してしまうこともありえます。


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ブルックナー その2 ~ むしろバロック

思索は本当に楽しいものです。

音楽と言葉。
シニフィエとシニフィアン。
霊性とは何か。

ここのところ、ずっとそんなようなことを思索しています。
考えるともなく考えている。

「音楽と言葉」やら「シニフィエとシニフィアン」やら「霊性」やらは、絵画です。
掛け軸のようなもの。
それらはぼくの心の部屋のなかに掲げられていて、常に眺めるともなく眺めている。
そんな部屋の中で、ぼくは本を読んだり、音楽を聴いたり、映画を観たり、ぼくの身体の外で生起するリアルな現象を観察したりしています。



そんなふうに過ごしていたら、唐突に湧き上がってきた言葉がありました。

 ブルックナーは、むしろバロックだ

この言葉は、指揮者のオイゲン・ヨッフムのものだったと記憶しています。
ぼくがこの言葉を目にしたのは、中学生だったか、高校生だったか。
現在は廃刊になってしまったようですが、『レコード芸術』なる音楽之友社の雑誌がありました。
企画でブルックナーの特集があって、ヨッフムのインタビュー記事があった。
そのなかで述べていた言葉だったと記憶しています。

何しろ30年以上前に読んだ記事なので、内容はほとんど忘れてしまっています。
だけど、なぜか、この言葉にだけは妙に引っかかるものがあった。
とはいえ、ずっと忘れていたんですけれども。

そんな言葉が、ある本を読んでいる最中に突如、湧き上がってきた。



(^o^)っ 有朋自遠方來 不亦樂乎

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『銃・病原菌・鉄』その3~アンナ・カレーニナの原則

『その2』はこちら (^o^)っ リンク




家畜化できている動物はどれも似たものだが、家畜化できていない動物はいずれもそれぞれに家畜化できないものである。

この文章をどこかで目にしたような気がしても、それは錯覚ではない。文豪トルストイの小説『アンナ・カレーニナ』の有名な書き出しの部分、「幸福な家庭はどれも似たようなものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」をちょっと変えたものだからだ。(中略)

トルストイの指摘はひとつの原則であり、男と女の結婚生活以外にも、いろいろな事柄にあてはまる。われわれは、成功や失敗の原因をひとつにしぼる単純明快な説明を好む傾向にあるが、物事はたいていの場合、失敗の原因となりうるいくつもの要素を回避できてはじめて成功する。



この「アンナ・カレーニナの原則」は『銃・病原菌・鉄』という著書の貫く原則でもあると思います。

「原則」というより「視点」というべきか。

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ブルックナー その1

自分でも意外なことに、ブルックナーについて書くのは初めてのようです。


ヨーゼフ・アントン・ブルックナー(Joseph[1] Anton Bruckner, 1824年9月4日 - 1896年10月11日) は、オーストリアの作曲家、オルガニストである。交響曲と宗教音楽の大家として知られる。





ブルックナーは不思議な人物です。

近世以降、著名人はたいてい肖像画が残っています。
そしてたいていは、残された肖像画とその人物の業績とは、なんとなくイメージが合うもの。
それはおそらくは先入観の為せる技だと思うんですけれどね。

肖像画を描く人間も眺める人間も、その人物の業績がアタマにインプットされている。
描くときにも眺めるときにも、インプットされたデータの影響を受けて、そのように描いたり眺めたりしてしまう。


最近はそういうことはなくなったと聞き及んでいますが、小中学校の音楽室には、クラシック音楽界の“偉大な”作曲家たちの肖像画がかならず壁に掲げられていたものでした。

J・B・バッハが最右翼で、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ショパン、ブラームス、ワーグナー、ドヴォルザークなどなど。あと、日本の作曲家として、滝廉太郎とか。いずれの面々もみな、“それらしい”面持ちをしていたし、そのように見えたものです。

ウブな小中学生の頃とは違い、いまはそれほど純朴に肖像画を眺めることはできませんが、それでも、やはり彼らの作品と彼らの肖像のイメージは、どことなく一致する。

ところがブルックナーだけは、なかなかイメージが合いません。
風貌がどうにも高尚な(?)クラシック音楽の作曲家というには凡庸というか。
知性の鋭さのようなものがないというか。

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『プレイバック』読了

読書前の記事は(^o^)っ リンク




苦い読書でした。
コーヒーの味わうかのような
読み進めるのも、コーヒーを味わうように、ぼちぼちとすすりながら、という感じになってしまいました。


そうですね、本書を読むなら、先に「訳者あとがき」から読むのが面白いかもしれません。
先に「あとがき」を読んでしまうと、ストーリーの概略が大方掴めてしまうし、主人公に対する先入観も生まれてしまいます。
でも、それでいいんじゃないかと思います。このハードボイルド小説は。

正直、ストーリーはそんなに面白いものではありません。
もっとも味わい深いは、フィリップ・マーロウの為人(ひととなり)だろうと思うから。
苦みの利いた、でも、雑味が削ぎ落とされたコーヒーのような味わい。

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『サピエンス全史』番外~金でしか治せない心臓の病

 


『サピエンス全史』がネタ元ですが、シリーズの続きではありません。
『銃・病原菌・鉄』シリーズの続き。
『銃・病原菌・鉄』シリーズは『サピエンス全史』シリーズの一部なので、当文章も『サピエンス全史』シリーズであることに間違いはないのですが。

1519年、エルナン・コルテス率いる征服者(コンキスタドール)が、それまで孤立していた人間世界の一つであるメキシコの侵入した。アステカ族(現地に住んでいた人々は自らをそう呼んでいた)は、このよそ者たちが、ある黄色い金属に途方もない関心を示すことにたちまち気づいた。実際、彼らは飽くことなくその金属について話し続けるようだった。原住民たちは、金と馴染みがなかったわけではない。金は美しくて加工しやすいので、それを使って装身具や彫像を作っており、交易の媒体として砂金を使うこともあった。だがアステカ族が何かを買いたいときには、たいていカカオ豆か布で支払いをした。したがって、スペイン人が金に執着するのは不思議に思えた。食べることも飲むことも織ることもできず、柔らかすぎて道具や武器にも使えないこの金属が、どうしてそれほど重要なのか? なぜスペイン人はそれほど金に愛着を持つのかと原住民がコルテスに尋ねると、彼はこう答えた。「なぜなら、私も仲間も心臓の病のかかっており、金でしか治せないからだ」

実際、スペイン人の出身地であるアフロ・ユーラシア世界では、金への執着は伝染病の様相を呈していた。激しい憎悪に燃える敵どうしでさえ、この役に立たない黄色い金属を喉から手が出るほど欲しがった。メキシコ征服の3世紀前、コルテスと彼の率いる軍隊の祖先は、イベリア半島と北アフリカのイスラム教の諸王国を相手に、残虐な宗教戦争を繰り広げた。キリストの信奉者とアッラーの信奉者が、何千という単位で互いに殺し合い、畑や果樹園を荒らし、繁栄していた都市をくすぶる廃墟に変えた。すべて、キリストあるいはアッラーのより大きな栄光のためだった。



上の引用は、科学革命の記述から遡った10章「最強の征服者、貨幣」からのものです。

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『銃・病原菌・鉄』その2~ピサロはなぜ勝利できたか

『その1』はこちら (^o^)っ リンク



近代において人口構成を最も大きく変化させたのは、ヨーロッパヒトによる新世界の植民地化である。ヨーロッパヒトが新大陸を征服した結果、アメリカ先住民(アメリカ・インディアン)の人口が激変し、部族によっては滅亡してしまったものもある。しかし、第一章でのべたように、新大陸に人間が移り住んだのはこれが初めてではない。人類は紀元前1万1000年頃、あるいはそれより以前に、シベリア、ベーリング海峡、アラスカを経由してアメリカ大陸に移住し、それ以来アメリカ大陸では、その移住経路の遙か南方に至るまで複雑な農耕社会が形成され、旧世界で誕生しつつあった複雑な社会とはまったく無関係に発展した。アジア大陸から人々が移住したあとも、ベーリング海峡の両岸の狩猟採集民の間には接触があった。また、南米を経て海上ルートでポリネシアにサツマイモが伝えられたと思われる。新世界とアジア太平洋域との接触ではっきり検証されているのはこの2つだけである。

アメリカ大陸の原住民とヨーロッパ人との接触については、西暦986年から1500年頃までの間に古代スカンジナビア人がグリーンランドに少数住み着いているが、とくに目に見える影響は残していない。むしろ、旧世界とアメリカ大陸に住む人々の積極派、西暦1492年にクリストファー・コロンブスがアメリカ先住民が大勢住むカリブ海諸島を「発見」したときに、突然始まったといえる。



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「ギブ&ギブおまけにギブ」by堀江貴文氏

期せずして、こちらの続きです(^_^;)

 
 堀江氏が語る仕事で成功する心得「ギブ&ギブおまけにギブ」  


仕事やビジネスを進める上で、一番大切なのは「信用」だ。作り方は人それぞれだが、私からアドバイスできることもある。

 一つは人間関係の「断捨離」だ。(中略)

次に大切なのは、「与える気持ち」だ。(中略)

信用を得るためには、相手と「ギブ&テイク」という関係性を築くだけでは足りない。「ギブ&ギブ」、おまけに「ギブ!」くらいの気構えが必要だ。(後略)



正鵠を射ていると思います。
〔ヒト〕というのは、こういった生き物だと思います。
〔ヒト〕が〔人間〕となるのに、堀江氏の方法は正鵠のど真ん中だと思います。

でも、、同時に大きく外しているとも思う。
矛盾したようなことを言いますけど。

何が、どこが外れているのか。



堀江氏の文章を読みながら思い起こされたのは、この動画。



『北の国から』。ずっと初期の頃のお話しです。

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『銃・病原菌・鉄』その1~ポリネシアでの自然の実験



いい加減、『その17』で更新が放置したままになっている『サピエンス全史』シリーズの続編を書こうと思っているんですけれど...(^_^;)

 


『その17』で指摘したのは、科学革命が「正当化」になってしまっているということでした。

科学革命は歴史的事実です。
歴史的事実には必然の理由がある。
必然の事実を「もの語る(≠解き明かす)」ことが、「歴史を語る」ということです。

いえ、実は「歴史」にも2種類あります。



上掲書によると、歴史発祥の地には2種類ある。
中国において司馬遷が始めた歴史と、古代ギリシャでヘロドトスが始めた歴史です。

中国式の歴史は、そもそもからして「正当化」のためのもの。
ギリシャ式の歴史は「もの語る」ためのもの。

『サピエンス全史』も『銃・病原菌・鉄』も、ギリシャ式の系譜を継いでいると思う。
思うけれど、どうにも中国式が紛れ込む。

思うに、中国式、ギリシャ式、それぞれ、たまたま発祥の場所が違うにしても、どちらも「文明の要請」なんです。
たまたま、その要請が最初に発現した順番が、中国では「正当化」が先、ギリシャでは「もの語る」が先になっただけのことで。

『歴史とは何か』が言うところは、2つの要請のうちでも、中国式の要請は社会的であり、ゆえに強いものがある。
たとえばイスラーム世界などは、その世界秩序からは「もの語る」という個人的な形で発現する要請は発生しづらい。彼の地では「インシャー アッラー」でそうした要請を阻む。

ところが、他文明との抗争という避けがたい歴史現象が生じる。
その現象に対処するのに、中国式の要請に応じることは有利に働く。
それゆえ、もともと歴史を発祥させる必然性がなかった、あるいは阻害する要因があった地域にも、歴史は伝播していった。

イスラーム世界の歴史書、イブン・バットゥータの『旅行記』などは、ギリシャ式の系譜を継ぐものと思うけれど、イスラーム世界でこのような「個的」な歴史が生まれたのは、直接的に要請が具現化したのではなくて間接的に、まず、社会的な中国式歴史がイスラーム世界にも定着して、その次の段階として発現したのだろう思ったりしています。

ちなみにインドは阻害要因が強すぎて、歴史伝播が阻まれた。


というようなわけだから、ひとつの書物の中に中国式とギリシャ式が入り交じるのは、流れとしては当然のことだろうと思います。
とはいえ、それを看過していいかどうかは別の問題。
「正当化」はどうしても、【隠蔽】という副作用をもたらすものでもあるわけだから。

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「おカネの本質」 by 堀江貴文氏


「おカネの本質」とは何か? 堀江貴文氏が解説

ライブドアニュースからネタを拝借。
タイムリーでもあるし。

情報は入ってくるものではない。こちらから、取りに行くものだ。仕事やカネで失敗し、いつまでも悪い環境から抜け出せないような人は、環境に負けたのではなく、単純に情報弱者なのだ。情報弱者だから、カネの本質というものをまるでわかっていない。




この文章を味覚で例えるとすると、アルコール度数の高いカクテル飲料でしょうか。

ウォッカベースのスクリュードライバー。あるいはブラッディメアリー。
度数が強いわりには口当たりが良くて、女性向き(?)とか言われたりしています。

で、世の中というか、生物界には個体差というものがあります。
サピエンスのなかにはアルコールに耐性のある個体とそうでない個体とがある。
この個体差を敢えて「才能」と、ここでは言っておきましょう。
「才能」と「能力」は同じようなものですけれど、ここでは「才能」がふさわしい。

〔人間〕の中には「才能」のある者もいれば、そうでない者もいる。
「才能」がある者は、「おカネの本質by堀江貴文氏」を呑んでも酔わないでいられる。
「才能」がない者は、同じものを呑んでもアルコールに負けて自分を見失ってしまう。

“詐欺的飲料”といってしまうのは言い過ぎでしょうけれど...

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愚慫

Author:愚慫
“愚樵”改め“愚慫”と名乗ることにしました。

「空論」は相変わらずです (^_^)

      

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