愚慫空論

Z会

Z会というと あのZ会です



大学受験通信教育の大御所?

なぜZ会を記事で取り上げるのか?
前々回取り上げたような「オススメ」の意図があってのことではありません


ぼくがZ会の存在を知ったのは 高校3年生の時でした
クラスメートがやっていたんです

記憶はどこかに飛んで行ってしまっていますが
おそらく受験勉強の仕方などを話し合っていたのでしょう
話の弾みで「Z会」という名前が出てきた
ぼくはその存在をまったく知らなかったので 「なに それ?」と尋ねました

クラスメートは 「え? 知らないの?」といった顔をしたのを覚えています
あとで周囲に尋ねると 大半の者は存在を知っているようでした
男子は相当数が受けていたみたい

今も昔も ぼくの勉強法は独学が主です
学校に通ってはいましたが あまり誰かに教わったという覚えがない
英語だけは別でしたけれど

中学の時に母親が「進研ゼミ」を取ってくれたのでやってみたんですが
つまらなくて放り出してしまった
それ以来 通信教育なんてぼくには役に立たないと思い込んでいました

クラスメートはZ会のテキストなども見せてくれました
内容が濃いのにビックリ
お願いをして テキストを全部 コピーさせてもらいました
市販の問題集や学習参考書より ずっと役に立ちました
問題解答の添削は 職員室へ押しかけて 教師にやってもらいました (^o^)

昔の自慢話をしたいわけではありません
してしまいましたけど ^^;

前々回 締めに 

 >選択し実行することが大切

なんて書きましたけど その話をしたい


誰がZ会を選択し実行するのか?

ぼくが です
申し訳ありません 完全に私事の話です

私的ブログなんだから 私事はOKですよね?




何のためのZ会か?
大学入試のために決まっています
齢50を迎えようというのに いまさらながら大学へ行きたいと考えています
お話ししたいのは その理由です


ぼくは この私的ブログにおいて虚構を操っています
独自のといえば聞こえはいいですが 実態は手前味噌でしかありません

ぼくはぼくなりに真実に迫っているとは思うものの
そもそもその思いが完全に主観的なもの
伝わる保証など どこにもありません

まあ それでいいとは思っていたんです
別に伝えたくてやっているわけではない
ぼくがぼく自身を〈いきる〉ためにやっているだけのこと

でもね 真実に迫っていると本気で思うと どうしても伝えたいんです
そうじゃなきゃ 嘘だと思うようになってきました

では ぼくの思い上がった手前味噌を どうやって伝えたらいいのか?
伝え方があるはずなんです


虚構を繰りつつ虚構に迫ってみてわかってきたこと
それは 虚構を伝えるには やはり虚構の助力が必要だということです
虚構を伝える者は 虚構を身にまとう必要がある

生身で勝負はいいけれど それはあくまで生身の話
ぼくがここで取り扱っているのは虚構です
だったら 虚構の世界に入っていくしかない――

齢50を前にして いまさらながら気がつきました


もう遅いかもしれません
大学に入り直す以外の もっと有効な選択肢があるのかもしれません
今のぼくにとって ベストの選択肢だと思っているわけではないのですが
とりあえず 歩み出さないと

そう思ってのZ会
自分でもバカみたいだと思います (^_^;)


その方向へ歩み出すとして 問題は山積です
仮に学力がなんとかなったとしても 経済的な問題もある

現在 国立でも授業料は100万に近い数字です
それを最低でも4年間
入学金も必要ならば 食ってもいかなければなりません
そんなお金 どこにもありません
今でさえカツカツなのに... (^_^;)

ちょっとだけ宛てがあるにはあるんだけど 全然足りないだろうし...


けど 行動するにあたっては 問題は問題ではありません
確かに問題だと予測は付くけれど 予測は予測
虚構です
実行して その壁にぶち当たってからが問題です

壁にぶち当たるのもいいんじゃないか?
50になって勉強して大学入試には合格したものの
金がなくて入学できないなんて 笑いものになるでしょうが
それはそれでいいんじゃない? と思っています

どんなこともやってみないと始まりません


 
少年老い易く 学成り難し

今 切実にそう思います

18の時に大学へ入ったはいいものの挫折して 学業の道を放り出したときは
30まで生きていれば上等だと 本当に思っていました

誰にも知らせずに険しい山の中へ分け入ってみたり
それで死ぬんだったら本望だと思っていた

今は違います
100まで生きたい
いえ 100まで生きてもまったく足りないと思います


コメント

ま、マジかっ!?
あらためて勉強したくなるお年頃かもしれないねぇ〜、笑
お気持ちはよく解ります。

う~ん、マジかどうかは、よくわかりません。
そののつもりではあるんですが、アタマデッカチで前のめりになっているのかもしれません(^_^;

お勉強はもともと好きですからね。必要がなくてもやるでしょう。
このブログだって、ぼくの「お勉強ブログ」ですよ (^o^)

手前勝手にお勉強をして、虚構、虚構と騒ぎ立てるのはいいんですが、
そういうのは妄想に過ぎないんだなぁ、と考えるようになってきました。
まあ、妄想に生きるのも〈生きる〉ですが、それは〔社会〕から世を向けた【生きる】かなぁ、と。

妄想と虚構に本質的な違いはありません。
妄想はデタラメ、虚構もまたデタラメです。
そのなかに理に適った妄想もあれば、理に適った虚構もあるというだけのことです。

理に適ったものは、妄想であれ虚構であれ、真実に迫るものですのはず。
けれど、いくら真実に迫っていても、妄想では、ぼくには意味があっても、社会にはない。
妄想が虚構にならなければ、意味がない。

では、どうしたら妄想が虚構になるのか。
「儀式」を経ることです。
それなりの「手続き」を踏むと、妄想は虚構へと格上げされる。

...と、遅まきながら気がついてしまったので、
まあ、この気づきもまた妄想なのかもしれませんが、
どちらのしても、気がついた以上は、そっちへ向かっていかないと〈生きる〉にならないなぁ、と。

なんにせよ、〈生きる〉のは大変です (^_^;)

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“愚樵”改め“愚慫”と名乗ることにしました。

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